義理のお兄ちゃんの学園プリンスに愛されちゃってます~たくさんの好きをあなたに~
「梓」
 不意に名前を呼ばれた。
 渉の声。なぜか固いように聞こえた。
 けれど梓の心は落ちついていたので、顔を上げる。
 その肩になにかが触れた。ここまで連れてきてくれて、優しい黄色の光を捕まえて梓にくれた、大きくて優しくて、梓にとって一番好きな手が。
 肩に触れて、少しだけ力を入れて、まるでさっきホタルを捕まえてくれたような手つきだった。
 そのまま、顔を近付けられた。
 あっと言う間もなかった。
 ふっと目の前に映ったのは、渉の深い茶色をした瞳。すぐに長いまつ毛におおわれてしまったけれど。
 同時にふわりとシトラスの香りが漂った。
 そんな抽象的なものしか感じられなかった。
 ただ確かだったのは、一瞬だけかすめるように触れられた、やわらかな感触。
 梓のくちびるへ。一番やわらかな部分へ。
 すぐにそれは離れてしまった。一秒もなかっただろう。
 目を閉じるとか、そんな間もなかったし、思いつきもしなかった。
 梓の心は空っぽになったようだった。
 ぱちぱちとまたたきをしてしまう。
 なにが起こったのだろう。
 ただ心臓だけが、とくとくと速くなる。そのあと、きゅっと締め付けるような感覚が襲ってくる。
 でもその感覚は嫌なものではなかった。
「……悪い。嫌だった、か」
 間近で梓を見つめてくれる、渉の優しい色をした瞳。
「そんな、ことは……」
 ぽうっとしながら梓は言った。
 その瞳に見つめられているうちに、じわじわと状況や、されたことが染み込んでくる。
 少しずつ、顔に熱がのぼってきた。ほおが熱い。
 でも心臓が飛び出しそうになることも、頭が煮えてしまうような感覚もなかった。
 おかしなことだ、今までこういう、渉を意識してしまうような特別なことが起こればそんなふうになってしまっていたのに。
 そんなこととは比にならないことが起こったというのに。
 ……キス、されてしまったというのに。
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