年の差政略結婚~お見合い夫婦は滾る愛を感じ合いたい~
【1】
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幸景さんと初めて会ったのは半年前、高く澄み渡る秋空に黄色く色づいたイチョウの葉がよく映える十月の日曜日のことだった。
「初めまして、紫野幸景です」
そんなとても普通の挨拶をされた瞬間、私はもう恋に落ちていたのだと思う。
私と幸景さんの初対面は、お見合いだった。場所は都内にある老舗の料亭。二十三区内にあるとは思えないほど広く清閑な中庭を携えた料亭は建物もお料理も幽玄で、私は高級な振袖を着せられているせいもあって、その日はかなり緊張していた。
だって、このときの私はまだ二十一歳の大学生。結婚なんて当然考えたこともなかったし、そもそも生まれてこのかた恋人だっていたことがなかったのだから。
いきなりお見合い、それも……十二歳も年上の人とだなんて。何もかもが未知すぎて、私はこの日を緊張と不安と憂鬱の混じった曇り空のような気持ちで迎えていた。
父からお見合いの打診をされたのは二週間前。普段は高圧的な父が『形だけでいいから、会うだけ会ってくれないか』と珍しく謙虚に頼んできたことにほだされて、つい頷いてしまったのが発端だった。
ところが、聞けばお見合い相手は私より十二歳も年上の三十三歳。しかも、日本一の大型百貨店グループ『しのやグループ』の御曹司だというではないか。
あまりにも予想外の相手に私は断固無理だと主張したが、父に『一度引き受けたことを断るとは何事か』と、逆に叱られてしまった。
しのやグループは明治時代から続く、いわゆる財閥の流れを汲む老舗の百貨店グループで、関連会社含め国内に三十店舗、海外に十二店舗を有している。
そんな雲の上の人物がどんな縁で私なんかにお見合いを申し込んできたかといえば、うちが『しのや百貨店』本店に長年店舗を持つ和菓子店だからだ。
東京の片隅で曾祖父の代からひっそりと続いていたうちの和菓子店『餅庵』は、三十年前にすあまが皇室献上品になったことで一躍人気を博し、しのや百貨店に支店を構えることとなった。以来、時代の流れに翻弄されながらも餅庵のすあまは変わらぬ人気を保ち、多摩市にある本店と銀座しのや百貨店にある支店での営業は今にまで続いている。
だからといってお店に爆発的な人気があるわけでもないし、うちはいたって平凡な中流家庭だ。
ただし、父方の職人らしい頑固な気質は代々受け継がれていて、我が家は現代にしては躾の厳しい家だと思う。
なんたってひとり娘の私は小学校から大学までエスカレーター式の女子校に通わされ、二十歳を過ぎても門限は二十時、バイトも男性とのお付き合いも禁止という状態なのだから。
お嬢様では決してないが、いわゆる『箱入り』だとは自分でも思う。おそらく私は同世代の友達に比べて異性との接触も他人との交流も少ない方だろう。その代わり祖母や母から着物の着付けやお茶のたて方、家事全般はしっかり叩き込まれたけれど、それってこれからの私の人生に役に立つんだろうかと常々思っていたことは内緒だ。
とにかく、そんな私のもとにお見合い話がやって来たのは、餅庵当主である父が、しのやグループの会長と面識があったからなのだ。
去年会長に就任した紫野郷太郎氏は、餅庵がしのや百貨店に出店した頃、執行役と取締役を兼任していて、本店の視察にもよく訪れていたそうな。そんなとき当時支店長を任されていた父と会い、職人気質な仕事ぶりを気に入ってくれて目を掛けてくれたのだとか。
特に家族ぐるみの付き合いなどはなかったけれど、郷太郎氏は餅庵の店主にひとり娘がいることを覚えていてくれいたらしい。
そして去年、郷太郎氏はしのやグループ会長に就任し社長の椅子を後継者である息子に託した。それが本日のお見合い相手、紫野幸景さんだ。
幸景さんと初めて会ったのは半年前、高く澄み渡る秋空に黄色く色づいたイチョウの葉がよく映える十月の日曜日のことだった。
「初めまして、紫野幸景です」
そんなとても普通の挨拶をされた瞬間、私はもう恋に落ちていたのだと思う。
私と幸景さんの初対面は、お見合いだった。場所は都内にある老舗の料亭。二十三区内にあるとは思えないほど広く清閑な中庭を携えた料亭は建物もお料理も幽玄で、私は高級な振袖を着せられているせいもあって、その日はかなり緊張していた。
だって、このときの私はまだ二十一歳の大学生。結婚なんて当然考えたこともなかったし、そもそも生まれてこのかた恋人だっていたことがなかったのだから。
いきなりお見合い、それも……十二歳も年上の人とだなんて。何もかもが未知すぎて、私はこの日を緊張と不安と憂鬱の混じった曇り空のような気持ちで迎えていた。
父からお見合いの打診をされたのは二週間前。普段は高圧的な父が『形だけでいいから、会うだけ会ってくれないか』と珍しく謙虚に頼んできたことにほだされて、つい頷いてしまったのが発端だった。
ところが、聞けばお見合い相手は私より十二歳も年上の三十三歳。しかも、日本一の大型百貨店グループ『しのやグループ』の御曹司だというではないか。
あまりにも予想外の相手に私は断固無理だと主張したが、父に『一度引き受けたことを断るとは何事か』と、逆に叱られてしまった。
しのやグループは明治時代から続く、いわゆる財閥の流れを汲む老舗の百貨店グループで、関連会社含め国内に三十店舗、海外に十二店舗を有している。
そんな雲の上の人物がどんな縁で私なんかにお見合いを申し込んできたかといえば、うちが『しのや百貨店』本店に長年店舗を持つ和菓子店だからだ。
東京の片隅で曾祖父の代からひっそりと続いていたうちの和菓子店『餅庵』は、三十年前にすあまが皇室献上品になったことで一躍人気を博し、しのや百貨店に支店を構えることとなった。以来、時代の流れに翻弄されながらも餅庵のすあまは変わらぬ人気を保ち、多摩市にある本店と銀座しのや百貨店にある支店での営業は今にまで続いている。
だからといってお店に爆発的な人気があるわけでもないし、うちはいたって平凡な中流家庭だ。
ただし、父方の職人らしい頑固な気質は代々受け継がれていて、我が家は現代にしては躾の厳しい家だと思う。
なんたってひとり娘の私は小学校から大学までエスカレーター式の女子校に通わされ、二十歳を過ぎても門限は二十時、バイトも男性とのお付き合いも禁止という状態なのだから。
お嬢様では決してないが、いわゆる『箱入り』だとは自分でも思う。おそらく私は同世代の友達に比べて異性との接触も他人との交流も少ない方だろう。その代わり祖母や母から着物の着付けやお茶のたて方、家事全般はしっかり叩き込まれたけれど、それってこれからの私の人生に役に立つんだろうかと常々思っていたことは内緒だ。
とにかく、そんな私のもとにお見合い話がやって来たのは、餅庵当主である父が、しのやグループの会長と面識があったからなのだ。
去年会長に就任した紫野郷太郎氏は、餅庵がしのや百貨店に出店した頃、執行役と取締役を兼任していて、本店の視察にもよく訪れていたそうな。そんなとき当時支店長を任されていた父と会い、職人気質な仕事ぶりを気に入ってくれて目を掛けてくれたのだとか。
特に家族ぐるみの付き合いなどはなかったけれど、郷太郎氏は餅庵の店主にひとり娘がいることを覚えていてくれいたらしい。
そして去年、郷太郎氏はしのやグループ会長に就任し社長の椅子を後継者である息子に託した。それが本日のお見合い相手、紫野幸景さんだ。