偉大なる使用人
「私は怒っている訳ではありませんので、お気を楽にして下さい。」
そう言われても…
悪い事をしたって身に覚えがありすぎて、
そしてそれを彼には全部バレてるのだと思うと
中々気を楽になんて出来ない。
「音様。」
呼ばれて思わず顔を上げる。
「使用人にとって、一番辛い事は何だと思いますか?」
一番、辛い事…?
何だろう。
奏多にとって、
ジンにとって、
英司にとって、一番辛い事とは…。
「主が死ぬ事、主が望んでない方と結婚する事、主から嫌われる事…いいえ、どれも正解ですがどれも不正解です。」
何も答えられない私に彼は続ける。
「一番、と問われれば本物の使用人ならば必ずこう答えます。」
英司の瞳が私の定まらない瞳を捉える。
「主の側でお使え出来ない事だと。」
側で、お使え出来ない事。
それを聞いて、ポロポロと涙が溢れた。
「貴女の愛する彼は、今この瞬間。人生において最も辛い状況に立っている。誰の為でしょう。何が原因でしょう。」
問い掛ける英司は、悲しそうだった。
涙が止まらない私にそっとハンカチを差し出し、目線を合わせるように腰を下ろした。
「私はどんなに理不尽な事をされても、坊ちゃんの使用人を辞めたいと思った事は一度もありません。」
「一度も…?」
「一度も。そして、恐らく彼も同じ。使用人を辞めると言う事は、彼にとって命を取られる事と同じ位の決断だったはずです。」
奏多。
貴方は、そうしてまでも私に光希と結ばれろと…?
「使用人は個人的な感情を持つと、途端に脆くなります。貴女が彼の手を引いた時。彼は間違いなく揺らいだでしょう。…しかし、こうして貴女をこの場所に戻した。」
そうね。
貴方は使用人として、私を運命の道へと引き戻した。
あの一日を、神様からのご褒美だと呟いて。
「坊ちゃんの使用人として、今から貴女に酷な事を言います。」
英司が何を言うか、予想がついて強く目を瞑った。
「やはり坊ちゃんと結婚して、天野川家に入って下さい。」
「英司、」
「最後まで聞いて下さい。そうして頂ければ、私は多少の事は致すつもりです。」
「多少の事って…?」
私の質問には答えず、
英司は笑って歩き出した。
「坊ちゃんには、この会話は永遠に秘密ですよ。あのお方は感受性が豊かでとても純粋ですから。」
英司の言葉に、私は首を振る事が出来なかった。