君の音に近づきたい

「桐谷さん! おはよう」
「香取さん、おはよう――」

学校に着くなり、香取さんが満面の笑みで私のもとに駆け寄って来た。

その笑顔は、まさか――。

「予選、通ったんだね?」

「よく分かったね。そうなの」

「良かった! 本当に、良かったね!」

「ありがとー。本当に、本当にホッとしたんだよ。コンクールって、最初の予選が一番緊張するからさ。でも、来週すぐに二次予選があるから頑張らないと」

手を取り合って、女子二人できゃっきゃとする。

「あー、私まで緊張して来る!」

「――桐谷」

ん――?

この会話にあるはずのない声が聞こえて、ぎょっとする。
恐る恐る振り返ると、二宮さんの姿がそこにあった。

どうして、普通に教室に入って来てるんですか――。

と声にならない疑問が頭の中で駆け巡る。
教室内がざわめいている。

「今日、俺、練習室行けるから。先行ってて」

「は、はい――」

ただ、それだけのために、なぜ――。

周りの視線もざわめきも、この人には何ともないことらしい。

「……あらあら。この夏で、随分打ち解けたみたいで」

二宮さんが立ち去った後、香取さんがにやりと私を見る。

「そ、そりゃあ、毎週顔あわせて練習していれば少しは親しくもなるでしょう?」

「今度は否定しないんだね。ふふ」

「ちょっと、その顔やめてください――」

「桐谷さん、おはよう」

今度は、林君だった。
からかってきそうな香取さんから離れ、林君に「おはよう」と答えた。

「夏休み、連弾の練習していたんでしょ? 今、二宮さんが出て行くのを見たけど」

「う、うん、そう」

「僕も何度か学校に来たんだ。でも、桐谷さんがどこで練習しているのか探せなかったよ」

「そうだったんだ。01教室が文化祭の練習用に当てられていて、いつもそこで練習してるの」

林君が探してくれていたなんて、知らなかった。

「あともう少しで本番だね。あれ、なんか、桐谷さん、顔色悪くない?」

「そうかな……」

「本当だ。夏とは思えないくらい、青白いよ」

いつの間にか香取さんまで私の顔を覗き込んで来た。

「今日は寝不足だからかも。でも平気」

絶対に、ほんの少しいやらしい漫画を読んでいたからだとは言えない。

「練習、大変なんじゃないの?」

「大変なのは大変だけど、楽しいし、大丈夫だよ」

心配そうに見つめて来る林君に、なんとか笑顔で返す。
確かに――。なんとなく、身体が重い。

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