君の音に近づきたい
最初は、抑えて。淡々とリズムを刻む。
情熱をどこか秘めたように。
そして、メインテーマが二宮さんの手によって少しずつ激しさを増していく。
揺れる二宮さんの髪で分かる。身体全体で激しさを表すその演奏は、もう貴公子なんかじゃない。
二宮さんの右手は、もうどんな音符を弾いているのかなんて分からなくなるほどに目にも留まらぬ速さで動き回っている。
超絶技巧のリストでさえきっと黙ってしまう。
攻撃的で、どこか刹那的な、激しく情熱的な旋律に懸命に食らいついていく。
凄い。二宮さん、凄い――!
練習室でだっていつも圧倒されていた。
でも、もう、全然違う次元にいる。
二宮さんの本気が、頂点まで達した。そんな感じだ。
肩も触れそうな距離でそれを感じれば、私までもが自然に身体が動いて行く。
もう自分の意識なんて関係ない。促されるようにいざなわれるようにこの指が音を奏でるのだ。
こんな感覚、初めて――。
こんなにも早いパッセージを弾いているのに、一体化する気持ちよさ。
ずっと昔、私の心を掴んでしまった、あの音――二宮さんのきらきらと光を放つ音の粒。それが今、ここに、すぐ間近で膨大な数の音が降り注ぐ。
この音だ。
あの時と、曲は全然違うのに。でも、間違いない。
小学生の時、心からピアノが楽しいと思っていた時の二宮さんの音だ。
跳ねる。突き刺さる。胸に迫る。舞い降りる。
ずっと焦がれてやまなかった音に包まれて、楽しくて幸せで涙が込み上げそうになる。
ラストに向けて、更にテンポを上げて行く。
追い立てるような、迫り来るような二宮さんのピアノは、もう何かが宿ったみたいで。神々しささえ感じる。
終わらないで。このまま、いつままででも弾いていたい――。
そう願っても、確実にラストへと近付いていく。
それを惜しむなんていう幸せなこの気持ちを、懸命に自分に刻み込む。
あんなにも憧れ追い求めて来た二宮さんと二人で演奏する――きっと、もうこれが最後だ。
怒鳴られ励まされ、いろんなことを気付かせ教えてくれたレッスンが、走馬灯のように蘇って。
目の奥が焼けるみたいに熱くなる。
最後の一音まで。どの音だって全部、胸に刻みつける。
ラスト手前、プリモとセコンドがまったく同じ音を同じリズムで弾くユニゾンが待っている。その直前、二宮さんと共に勢いよく息を吸い込み、視線で合図を取る。そして、一気に鍵盤を駆け下りた。
ラスト、二宮さんがすべてを完結させるように激しく鍵盤を上から下へと指で滑らせ、鋭く音を切る。
解き放った最後の一音が消えた後、グランドピアノと客席の間に、張り詰めたような静けさが横たわった。
それは、不気味なほど――でも、その静けさがまるで序奏だったかのように、割れんばかりの拍手が鳴り響いた。
「ブラボーっ!」
「サイコーっ!」
お客さんも、喜んで、くれているんだ――よね?
二宮さんと顔を見合わせる。そうしたら、その額に汗を浮かべて、満足そうに笑っていた。