君の音に近づきたい
いつものベンチに、並んで座る。
二人の間にある微妙な距離が、よく分からない緊張を連れて来て。
二人きりでいたことなど、何度もある。
どうして今日はこんなにもそわそわとしてしまうのだろう――。
二宮さんから、炭酸飲料のペットボトルを受け取る。
口の中で泡が弾けた。
「……俺さ。桐谷と連弾して、もう何年も忘れていて出来なかったことが、思い出された」
膝に肘を預けて座る二宮さんが、ペットボトルを手にして口を開いた。
「桐谷のためになるだろう、なんて最初は思ってたけど。そうじゃなかった。俺が桐谷にいろいろ教えられた。ピアノを楽しむこと。楽しんだ先にあるもの。これまで目を背けていたものを、見つめることが出来た。また、昔みたいな音が出せたんだ」
私は、二宮さんの言葉をただじっと聞いていた。
「最初は、どうせこれが俺のイメージなんだろ、なんて投げやりな気持ちで取り組んだ愛の挨拶でさえ、実は、凄く気持ち良かったんだ。こういう曲なりの良さを知ったと言うか。本当に自分に気持ちがあれば、どんな曲だって心に沁みるんだよな」
そう言って、その視線を私の方へと向ける。
「桐谷と連弾出来て、本当に良かった」
真っ直ぐに見つめられた視線に、思わずそらしてしまいたくなるのにその目をじっと見ていたいと思う。
そんな自分の中の矛盾に混乱する。
さっきからずっと止まない心臓の音が、私の気持ちをもてあそぶ。
「私の方こそ、ありがとうございます。連弾のオーディションを受けるのに二宮さんが背中を押してくれなかったら、きっと舞台でたくさんの人に拍手をもらえる喜びを知らずにいたと思います」
「桐谷……」
「今まで、楽しむだけだったピアノを、苦しみながらも完成度を求めて追求すること、その先に見えるもの。それを知りました」
私だって、二宮さんのおかげで、知らなかった世界を見ることが出来た。
「ありがとうございました」
もう、間近で二宮さんのピアノを聴くことは出来ないのかなーー。
こんなにも感謝の気持ちでいっぱいなのに、こんなにも切ない。