君の音に近づきたい
「この前、俺の練習室のぞき見していた時、言ってただろ? ただのファンじゃないって。俺の音を聴き続けて来たとか、その音に惹かれたんだとかなんとか。それが本当なのか試してやろうと思ってさ……」
「どうして、そんなこと」
二宮さんのように忙しい人が、どうして私なんかを試そうなんて思ったんだろう。
「まあ、ただの気まぐれ? いつも時間に追われてるし、必要なことしかしない毎日で。たまには、どうでもいいことでもしてみたくなったって感じ?」
「はぁ……」
どうでもいいこと、ね……。なるほど。まさに、こんなことどうでもいいことだよね。
そんなどうでもいいことを、私が吐きそうになったほど緊張した公開レッスンの場でやってのけるなんて。もう、それだけで別世界の人だ。
「今日は、いつも以上に何も考えずに弾いた。ただ、教えられた通りのことだけを忠実にね。だから、レッスンはパスするし、聴いている方にとっても特別問題がある演奏にはなっていないはずだ」
”いつも以上に”という言葉がなんとなく引っかかったけれど、私はその言葉に頷いた。
「はい。だから、『すごく上手い』って答えました」
そう言うと、二宮さんがふっと笑った。
「だから――。あんたが言ったこと信じてやるよ。純粋に俺のピアノだけを聴き続けて来たってこと」
その目は、これまで私に見せて来た、馬鹿にしたような目でも蔑んだような目でもない気がした。
「そ、それはありがとうございます」
その視線に何故か胸の奥が跳ねて、慌てて二宮さんから視線を外した。
「そういうわけで、あんたの哀しいほどにド下手なピアノ、見てやるよ。困ってるんだろ? 落ちこぼれの烙印貼り付けて校内歩いているようなもんだからな」
うっ……。
本当に言葉がいちいちきつい。
容赦なく、自信の欠片もなくなった弱り切った心を突き刺して来る。
「ほら、早く。何でもいいから、弾けよ。俺もそんなに時間ないんだ」
「……本当に、みてくれるんですか?」
『落ちこぼれの烙印』という言葉に気を取られていたが、今、凄いことを言われた気がする。
あの二宮奏が私にレッスンしてくれる、ってこと――?