君の音に近づきたい
「最初から、右手だけで弾いてみろ」
二宮さんが片手をグランドピアノに置いて、そう言う。
そんな真横に立たれたら、緊張するんですけど――!
制服のネクタイが、ゆらゆらと揺れているのがすぐ間近で分かるほどの距離。
いろんな緊張が駆け巡っていると、「早く」とこの日何度目かの台詞を吐かれ、鍵盤に手のひらを慌てて置いた。そしてすぐに弾き始める。
16分音符が3連符で連なって行く、早いパッセージ。
ころころとピアノの音が転がって行く――。
「ちょっと待て」
自分的には軽やかに弾いているつもりなのに、あっという間に止められた。
「いくらロマン派だからって、そういう都合のいい揺らし方をするな!」
頭上から罵声が浴びせられる。
「あんたのは、計算されたルバートじゃない。ただ単に、自分が弾きづらいところだけ都合よくゆっくり弾いて誤魔化しているだけ。そんなの、すぐバレんだよ。素人が好き勝手に弾いてるんならいい。あんた、それでも音楽を専門にしている音高生だろっ!」
「すみ、ませ――」
「ロマン派を自分の都合のいいように解釈して弾くんじゃねーよ」
作曲家の生まれた年代によって、大きく四期に分れる。
バロック、古典、ロマン、近現代。
まさに、ショパンはロマン派を代表する作曲家。
テンポや様式にうるさいそれまでのバロックや古典に比べて、弾き方に自由度が増しているはずで――。
ショパンの流れるようなメロディは、まさに感情をそのまま表しやすい――と、私は理解しているのだけれど……。
マシンガンのように、耳に痛い言葉が浴びせられる。
「あんたにルバートなんて百万年早い。まずは、きちんと一定のテンポで弾け。難しい部分だろうが簡単な部分だろうが絶対にテンポを変えるなよ。ほら。このテンポで」
二宮さんが手のひらで、トントンとピアノを叩く。
「は、はいっ」
間近にいる鬼コーチに睨まれながら、小さくなって指を動かす。
「おい、遅くなってるぞ。ちゃんと聴いてんのか! 自分の音と俺の手、両方ちゃんと聴け」
「はい!」
「ふざけんな。言った側から今度は早くなってる」
「は、はいっ!」
一定のテンポで弾くのって、こんなに大変だったっけ――?
私だって、メトロノームに合わせて練習をしたつもりではあった。
なのに、どうしてこんなに合わせるのが大変なんだ?
「おいっ!」
「はい!」
突然私の手首を掴まれ、演奏を止められた。