君の音に近づきたい
「――それにしても、入学してまだ間もないのに、桐谷さんはいろいろ大変そうだね」
「あ……うん。なんだかよく分からないけど、こんな状況になってる」
もう、苦笑いするしかない。
自分でだって、訳が分からないんだから。
「桐谷さんは、二宮さんと……。知り合い、なの?」
「え?」
思わず隣に立つ林君を見上げる。その声が、少し変わった気がしたからだ。
「あ、いや。相手はあの二宮さんだろ? それなのに、昨日の廊下ではとっても親しそうだったから。実は、僕もびっくりした……って、こんなところで桐谷さんに聞いちゃったら、クラスの女子と同じになっちゃうな。連れ出した意味がなくなる。ごめん」
「う、ううん。いいよ! 大丈夫」
あまりにも申し訳なさそうな顔をするものだから、私はつい激しく手を振った。
「知り合いなんて関係じゃないよ。二宮さんは有名だから私は知っていたけど、当然、二宮さんは私のことなんて知らなかったし。ホント、たまたまなの。入学式の日にファンの女の子と間違えられたり、二宮さんが練習していたのを立ち聞きして怒られたり。それから、公開レッスンの大惨事を見られたり? それで、『どヘタ』って言われてからかわれてる」
口早にそう説明する。
「そうだったんだ」
「うん」
レッスンしてもらったことは、何故か言えなかった。
咄嗟に、言ってはいけないような気がした。
二宮さんに迷惑がかかる――そんな風に思ってしまったからかもしれない。
二宮さんの行動はただの気まぐれだ。
それなのに、二宮さんが誰かをレッスンしていたなんて知られたら、事実とは異なる意味を持ってしまう気がして。二宮さんにも迷惑がかかるし、それに、そんな風に誤解されるのは私も困る。
「……あの人は、有名過ぎるからね。少しのことでも、大騒ぎになっちゃうね」
「そうなの。当の本人はあんまり気にしていないのが困るけどね」
エヘヘと、とりあえず笑って誤魔化す。
「それより林君は今、どんな曲練習してるの?」
なんとなく、話題を変えてしまった。
「ベートーヴェンのピアノソナタかな。今度のレッスンで先生と相談してみるつもり」
「そっか。今度のレッスン、怖いよ。公開レッスンでのこと、絶対怒られる」
「僕も。めちゃくちゃ怖い」
林君は、特に気にした様子もなく笑ってくれた。