君の音に近づきたい
「あんた、ベートーヴェンのソナタでも弾いてるつもりかよ。何なんだよ、その硬い音は」
「すみません。自分では、レガート意識して弾いているつもりなんですが」
このメロディーを硬い音で弾くなんて、論外だ。
柔らかく流れるように美しく。頭ではそう思いながら弾いているのに、それが音に伝わっていない。
「肩に力が入ってる。自分の肩が上がってるの、気付いてる?」
「あ……っ、すみません。つい」
緊張のせいで硬い音になってしまっている。
「まさか、俺と弾くのに、緊張してんの?」
「え、あ……いえ。そんなこと、ありません」
咄嗟に強がってしまう。
二宮さんの口角が上がり、にやりと私を見た。
「ふーん。俺が男だから、意識してる、とか?」
「ば、バカなこと、言わないでください」
「この部屋には二人きりだもんなー」
「だから、違うって言ってるじゃないですか! 今では、二宮さんなんて、ただの二重人格ピアニストくらいにしか思ってませんよ……っ!」
――って、私は一体、何を言ってるんだ……。
この口が勝手に口走った。
「……なんだよ、”ただの”二重人格ピアニストって」
二宮さんが爆笑する。
「意味不明なんですけど」と言いながらお腹を抱えている。
それだけ笑われると、一人緊張していたのがバカらしくなる。
「笑い過ぎですよ」
「いや。傑作だなって思って。俺のこれからのキャッチフレーズに使いたいくらいだよ。”笑顔の貴公子”よりよっぽどいい」
それでも止まない笑い声に、私は諦めて、二宮さんが笑い終えるのを待つことにした。
「悪い悪い。ホント、毎度毎度、遠慮なくいろいろ言って来るから、楽しいよ」
「別に、二宮さんを楽しませようと思って言っているわけではありません」
むっとしてそう答える。
「……どうだ? 緊張は、解けた?」
「え?」
「じゃあ、もう一度最初から行くか」
「は、はい……」
ほんの少し口をひくひくとさせながら、二宮さんが再び鍵盤に指を構えた。
私も慌てて鍵盤の上に指を置く。
もう先ほどの震えはない。