君の音に近づきたい
「じゃあ、もう一度合わせるぞ。肩の力を抜いて俺の伴奏に音を載せるつもりで」
「はい」
一度聴いた二宮さんの演奏は、私の心にしっかりとどまるようになっている。
さっきとは違う、パズルとパズルが合致したような気持ちよさを感じた。
「――まあ、さっきよりはいいだろ。とにかく、こういう緩い曲は、気分とか流れで適当に弾けた気分になりがちだから。そういう部分こそ、緻密に練習しておけ」
「はい」
続けて、チャイコフスキーの花のワルツも合わせてみた。
「こっちも、基本的には同じ。ただ、花のワルツの方が華やかだ。オケをイメージして弾けよ」
チャイコフスキーのバレエ音楽『くるみ割り人形』の中の一曲だ。オーケストラで演奏されるものをピアノに編曲されたものでもあるから、音も多彩でとにかく華やか。それを四つの手で再現する必要がある。
「音量も、もっと出していい。音色の種類ももっと欲しいな。とにかく桐谷の音色は、種類が少ない。絵具で言うと、4、5色か。それを、少なくとも12色くらいにはしろ」
「倍以上……難しいですね」
同じ音を弾くのでも、その色の引き出しをたくさん作る。口で言うのは簡単だけど、難しい。
「何度も弾いて、自分の耳で聴くしかない。いろんなバリエーションを自分の中に作っておけ。どんな曲を弾くにも必要なことだ」
「確かに二宮さんの音色は、果てしないですね。え? そんな音出せるの? そんな音色まだあったんだ? それもあり? 嘘! みたいな感じです」
私が満面の笑みで答えると、無表情がそこにあった。
「――こういう系統の曲はよく弾いてるからな」
またも、冷めた表情だ。
その二宮さんの顔が、脳裏にこびりつく。
それから一時間ほど練習をした。
練習をしたと言っても、ほとんどが私のパートを繰り返し弾かされて何度も注意を受けた。
「今日はこれくらいでいいだろ。あとは、俺が言ったこと、次までに直しておくんだぞ。同じことは二回言わせるなよ」
「はい。ありがとうございました」
二宮さんが椅子から立ち上がる。私も立ち上がり、すぐさま頭を下げてお礼を言った。帰り支度をしている二宮さんの背中に、つい呟いてしまう。
「仕事って、どれくらい忙しいんですか……?」
背を向けていた身体がこちらに向けられる。
「テレビの撮影、雑誌の取材、CDのプロモーション。今度あるリサイタルの打ち合わせ。残りの時間は、基本的に練習と睡眠」
「す、すごい、ですね……」
二宮さんは高校生だ。でも、自分の時間なんてほとんどないんだろう。
「じゃあ、また来週」
素っ気なくそう言うと、帰ってしまった。