君の音に近づきたい


二宮さんが次に練習室に来ることになっている日まで、毎日、朝から夕方まで01教室に引きこもっていた。

音色を引き出すために、同じフレーズを何度も弾いてみる。
そのたびに指の感覚を変えて、音色を変える。
微妙な響きの変化も、耳を凝らして研究した。

そして、もう一つ。
私には、考えてみたことがあった。

一週間が経ち、カレンダーは8月に変わっていた。
この日は、二宮さんが来る。

今日は、二宮さんに言いたいことがあるー―。

いつもより早く学校に向かう。学校のある最寄り駅を降りたら、
どうしても気が急いて、暑いのについ小走りになる。肩にかかる鞄の持ち手をぎゅっと握り直した。

汗だくになって校門が見えるところまでたどり着くと、そこに数人の人が集まっているのが見えた。

何だろう。今日、学校で何かあったけ……。

頭の中で記憶を寄せ集めながら歩いて行くと、その集まっている人の真ん中の、頭一つ抜けた人が二宮さんだと分かった。

「奏君! やっと会えて嬉しいです。サイン、貰ってもいいですかっ!」
「大好きです。いつも、応援してますー!」

そしてその周りにいるのは、おそらく二宮さんのファン――。

「応援してくださって、ありがとうございます」

出たっ。貴公子スマイル。
キラキラが振りまかれている。降り注ぐ太陽のせいで、二宮さんのもともと色素の薄い髪も明るく見えて。
本当に、どっかの国の若き王子みたいだ。
それに、あの、女心を溶かしてしまいそうな甘く優しい微笑み。

どうしたら、あんな風に使い分けられるんだ。

”どヘタ”
”クソ”
”いたぶってやる”

そんな言葉を吐きまくっている人とは思えない。

「きゃーっ!奏君!」

そりゃ、悲鳴の一つも上げたくなるだろうね。
こうして客観的に見つめれば、やっぱり文句なく綺麗な顔をしている。
男の人なのに、綺麗な人だと言いたくなるくらいに、儚く優し気な完璧に整った顔だ。
なるべく気付かれないように、存在を消しながらその横を過ぎて行く。

「絶対、リサイタル行きますからっ!」
「CD、もう何回も聴いてます」
「ありがとう。嬉しいです。僕も、頑張りますね」

ファンの子たちの目を輝かせた反応を目の当たりにしてしまえば、二宮さんが頑なに裏の人格を隠さなければならないのも分かるような気がして来る。

騒がしい集団を背にしながら、私は先に練習室へと急ぐ。

「――今日のところはごめんなさい。これから、大事な練習があって。ごめんね、失礼します」

「えーっ!」

え――?

駆け寄って来る足音がして、ぎょっとする。

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