君の音に近づきたい

「――それにしても」

愛の挨拶の練習を終えて、リベルタンゴを弾いている時だった。
二宮さんが溜息を吐き、顎に指を添えて考え込み始める。

「すみません。まだ、しっくりきませんよね……」

私なりに精一杯練習している。でも、とにかく難しい。
ただ弾くのならいい。リベルタンゴの雰囲気を思いっきり引き出すのがとんでもなく困難だ。

「いや。テクニック的には、桐谷の練習の成果がちゃんと出てる。指も回るし、テンポも俺について来られてる。でも、そう……色気がたりねーんだよ」

「い、色気っ!」

私から一番遠い場所にある言葉な気がする――!

「そればかりは、どうにもこうにも……」

「桐谷」

「はい」

二宮さんがぬっと私に近付く。

「誰かと付き合ったこととか、あんの?」

「な、な、ないですよ!」

「やっぱりな……」

やっぱりな、と言われるとなんだか腹が立つ。

「そういう二宮さんは、あるんですか?」

「……ノーコメント」

「その答えはずるいです!」

「なんで、馬鹿正直に答えなきゃなんねーんだよ」

くやしいけれど、二宮さんは超が付くほどのイケメンだ。ピアノも弾ける貴公子。誰かと付き合ったことくらいあるのかもしれない。

「あ―、やっぱ、おこちゃま桐谷じゃ無理があんのかなぁ」

腕を上げて伸びをしながらぼやく二宮さんに、ついまた、おかしなことを口走ってしまった。

「色気、くらい。なんとかしてみせますよ!」

「どうやって」

「え……」

今の今まで伸びをしていたくせに、素早くまた私の顔を覗き込む。

「具体的手段は?」

「そ、それは……」

まるでありません。ただの、売り言葉に買い言葉です――。

「ないんだ」

「う……っ」

言葉に詰まっていると、大きな手のひらが私の頬にゆっくりと忍び寄って来る。

え……な、何ーー。

「……じゃあ、俺と、キスでもしてみる?」

は――?!

あり得ないほどの至近距離にある瞳と、普段他人に触れられるこのない場所にあてがわれる手のひらの感触に、頬が熱くなる。

驚きとドキドキで、微動だにできない。

「それも、濃いーやつ」

濃い……っ!?

パニックになって、ぱくぱくと口をさせるけれど声になっていない。

どうして、動けないのかーー。

「――何、その顔。魚みてぇ」

「え……?」

「ホント、最高だよ。本気にしたの?」

「え」

「するわけねーだろ。普通、友達にキスなんてするかよ」

目の前に、憎たらしい笑い顔がある。

本当に、サイアク!

私一人がドキドキしていたのだ。
ただ、からかわれただけ。

急速に心臓の鼓動が怒りに変わる。

「今、私の心の中で、二宮さんはボコボコになってます。心の中だけで抑えている私に感謝してくださいよ」

「怒ったのかよ」

「当たり前です。人をからかうのにも程があります!」

二宮さんから思いっきり顔を背けてやる。

「これくらいのことでムキになるなって。だから、おこちゃまだって言われるんだぞ」

知るもんか。

まだ収まらない激しい鼓動に、今度は、何故だかそんな自分に苛立つ。

色気くらい――色気くらい、自分の力でなんとかしてやる!!

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