響は謙太郎を唆す 番外編 お母さんの入院
1週間ほどたち、謙太郎のお父さんが海外から戻ってきた。
ちょうど、響が足のちょっとした自分で行う訓練を手伝っていた時に、病室のドアが開き、謙太郎と目元や輪郭が似た感じのお父さんが入ってきた。

お父さんは、

「おい、大丈夫なのか?留守中に怪我をするなんて、あわてたぞ!」

と言って、ベット脇にかがみこんでる響を見て、「あれ?」っと言う顔をした。

「お見舞いですかな?何か、お手伝いいただいていますのかな?」

と丁寧に聞いてくれた。
えっと。
ごめんなさい。
弁護士さんが押しかけて慰謝料をいただいてしまった戸波なんです⋯⋯ 。
お母さんを心配してやっと帰って来たのに、申し訳なくて焦るよ。
とにかく真っ直ぐ立ち上がって、頭を下げて、

「こんにちは」

と言った。

「あー、どうも、お世話になっております」

とお父さんは答えてから、お母さんを見て、

「どなたですかな?」

と聞いた。お母さんは、

「さて、誰でしょ〜うか?
あなた、どなただとお思いになる?」

と、ちょっとふざけた。
響は、冷や汗が出た。

謙太郎のお父さんに会ったのは、初めてだった。
謙太郎から、医者以外の職業を拒絶する、と聞いていたから、その頑固な感じの想像と目の前のお父さんは意外なほど柔和で違っていた。
父親として比べてもレンともぜんぜん違ってる。
常識的な優しそうな紳士『良き父親』ってかんじ。
私だと分かったら、どんな反応をされるのか、全く想像できなかった。

「なーんてね。
戸波 響さんですよ。
あたくしが、さんっざん、意地悪した」

お父さんが無言で、ぐっと顎を引き、ぎょっとしたように響を見て、息を2、3回吸って吐いてから、

「あー」

と言った。 部屋に重い沈黙が落ち、響が固まって立っていたら、お母さんが、ふふふ、と笑った。

「まぁ、おかしい、あなたったら。
そこは、いつぞやは、家内がご迷惑をおかけしました、でしょ?」

お父さんは、慌てて、軽く頭を下げたが、言葉はまだ出ないようだった。
響も慌てて、頭を下げた。

「こんなあたくしに、ほらっ!
綺麗なお寝巻きでしょ。
うちの男性陣は、こんな気は回らないわね」

と聞いた瞬間、お父さんが右手をぐいっと響に出し、

「領収書、レシート!
家内の入院にお使いになったもの、交通費も、私が支払いますから」
「あっ、はい!」

ときちんと綴じて、メモもとってあるものを渡したら、じーっとそれをながめた。
沈黙がまた落ちる。
お父さんは、メモを眺めたまま、何気ない様子で言った。

「あの子は、どうしてますかな?」

何となく響は胸が詰まった。
ちょっと我慢していないと泣きそうにだった。

謙太郎とご両親の関係に、確かに自分は関与出来ないし、出来なかっただろう。

でも、結果としてこの人達の大事な長男が今一緒にいるのは響で、家を出てしまった原因のどこかに自分の存在が影響がなかったとは言えないと思う。
現に、私が謙太郎のお母さんと仲違いしたみたいなもんだし。
謙太郎みたいな息子が、いなくなった無念さってどのぐらいだろう。

私がもし決定的に譲れない出来事があって、謙太郎が怒って出て行ってしまったら生きていけないと思う。

謙太郎の顔を思い浮かべながらご両親を見たら、確かに面影や雰囲気や、謙太郎のあちこちが見えて、さらに胸がいっぱいになってしまう。

「謙太郎さんは⋯⋯ いま、法学部の3年生で、最短で司法試験に合格しようと、勉強してます⋯⋯ 」

「弁護士⋯⋯ ですか⋯⋯ 」

とお父さんは、自分の口の中でその職業をつぶやき、理解しようとしているようだった。
医者になるしか認めなかったお父さんのプライドや生き方、違う職業を選ぼうとしている謙太郎に、今、どう思っているんだろう。

「謙太郎さん、法学部の成績、学年で1番です。
謙太郎さんはすっごく努力が出来て、それにもともと頭がいいのかな、とっても優秀ですね。
私と頭の出来が全然違ってると感じています。
集中力、スマートな頭の回転、問題の解決能力、どれをとっても最強なかんじ。
淡々と、感情に振り回されずに、一歩一歩着実に進んでいく、尊敬してます。」
「あの子、勉強はよく出来たわね。
学生の時は本気でやっていなかったけど、目的が出来て、本気になったら、そりゃぁ優秀だと思うわ」

ちょっとお母さんの残念な気持ちが透けて見えた。
立派な後取りだったんだろうな、両親からしたら。
お父さんは、また口の中で、優秀⋯⋯ と呟いた。

「まぁ、昔から頭の回転は早かったですな。要領も良かった。⋯⋯ 勉学はまぁ、良いが、いったい、どのように暮らしておるんだか⋯⋯ 」

お父さんが言いにくそうに、独り言のように呟きながら、でも私に尋ねていた。

私に聞かなきゃいけない⋯⋯ そうしか分かりようがない事が、ちょっと申し訳ない気分になった。
生意気にならないよう、ただ事実を伝えるように、と口を開きかけたら、ベットからお母さんが手で案内するみたいに私を指した。

「あたくしが原因で、あなたが支払った高額な慰謝料を、自分で全くお使いにならずに、全部、謙太郎の生活費にされたのよねっ」

と言ってから、その手をヒラヒラさせた。

「もう少し、言い方があるでしょう。そんな、身も蓋もない、あからさまな。
申し訳ないですな。
こんな、家庭のいざこざ、他人様にはお恥ずかしい事ですな」

お父さんが、あわててそんな言い方をしたが、お母さんは表現がキツいし、お父さんはそうやって無意識だろうか⋯⋯ それとも牽制しているのだろうか⋯⋯ 私を全く関係のない赤の他人のように疎外したような丁寧さで、ちょっと落ち込む気がした。

(私は謙太郎と他人のつもりなんてないんだ)って強く思った。

2人がまだ何だかんだ、半分ぐらいは少し嫌味を混ぜているような話し方で、言い合っていた。
お父さんは要約すると
〈自分が留守の間に、馬鹿なことをして、気をつければこんな事ならんだろう〉

お母さんからしたら
〈本当に家の家族は、あなたも子供も役に立ちやしない。もう少し気が回せないのか。出来ることがあるでしょうに〉

私はここに居て聞いてて良いのかどうか、微妙な感じだ。
どうやら、本当は家には毎日通いのお手伝いさんがきていて、いつもなら、入院のお手伝いも出来たはずなのに、たまたま里で不幸があり帰省中らしい。
それでも何とか和やかに、だいたい状況を確認しあったのだろうか。
お父さんは病室に入ってから10分ぐらいで、

「じゃ、また来るから」

と言い、響に

「すみませんな」

といいながら、そそくさと出て行った。
お母さんは、

「はぁぁ〜、」

と、嫌味なため息をついた。

「とりあえず、やる事はやりましたっ」

と、モノマネみたいな高い声で言って、

「ほんと、いつも逃げてばかり。
シラを切ってれば、いつのまにか事がすむ。自分では、何にもしないんだから!」

それから、響を急に見て、

「あなたもお気をつけなさいな。
男の人って、逃げちゃうのよ。現実から。
はぁぁ、やんなっちゃう」

うーん、返事しにくい。

確かにお父さんの今の態度はもどかしい。
結局、なんとなく、うやむやのまま。

まったくの他人扱いしておきながら、私に後をお願いしたみたいに出て行った。
私が責任者、付き添い、家族、みたいな扱いだった。
戸波と分かったはずなのに、正面切って何かを言うわけでもなく、知ったはずなのに気がつかなかったみたいな、まぁ、お母さんの言うように、お母さんからも私からも逃げたのかな⋯⋯ 。

いろんな家庭の関係があるんだな、と響は思った。

私は自分の家しか知らない。
レンとマリしか。

もしマリがレンの留守中に入院したら、どんな感じになるかな。
レンは逃げないだろうと思うけれど、熱くて常識がないし、気がつかない事だらけだろうな。
マリは飛んでるから、どんな迷惑行動をするやら、思いつくやら、危ない。
まともに入院出来なそうだ。

今、こうやって、謙太郎の両親を知れば、違う家庭と、違う夫婦のあり方と、積み重ねと、常識と、考え方と、いろんな形があるんだな、と思った。

私と謙太郎は⋯⋯ どんな感じになってるのかな、何年か後。
ずっと、ずっと、一緒にいたいと思ってる。
離れたくない。
レンとマリみたいに、お父さんとお母さんみたいに。

子供が出来て、大きくなって、2人になって、何だかんだと起こりながら一緒に同じ時を過ごす。

今、私達の後ろには出会ってから4年ぐらいの日々が積み重なっている。

謙太郎が好きだとずっと思い続けた4年。
いろんな考えていた事も、その都度、相手の状況も考えて変わっていく。
でも⋯⋯ 。
決定的に。
私も見ないようにしている事がある。

私は謙太郎に、彼の資質に見合っただけの物があげられるのか⋯⋯ 。

「ふふん、あなた、何を考えてるの?
あたくしと主人見てて、ヤになっちゃった?」

ぼんやり、謙太郎の事を考えていたら、お母さんの言葉に現実に戻る。

「嫌に?」
「ふふん、あの男よ。
謙太郎。
あー、もー、もどかしいから、はっきり聞いちゃう。
あの子と上手くいってるんでしょ?
あたくしの邪魔も乗り越えて」
「⋯⋯ 」
「あたくし、ずっと考えてたのよ。
あの時、あなたが言ってた事。
謙太郎の幸せしか考えてないって。
分からなかった。
あたくしのやってる事が、1番あの子を思っていると信じてたのよ」

当時も、お母さんは意地悪だったけど、謙太郎を思ってた事だけは私は知っていたと思う。
退学や濡れ衣の現実は辛かったけど、不思議とお母さんを悪く感じる事はなかったと思う。
この人は、こうやって育ってきて、信じて、わがままで、キツい物言いをする、ただ、そんな人なだけだ。

謙太郎のために。

いまだに私は何かの瞬間にあの光景がうかぶ。

100周年パーティーでの謙太郎。

立派な態度、付け焼き刃ではない、生まれと育ちが彼の世界だった。
彼がそれを手にするのは当たり前だと思う。
それを渡せる両親がそうするつもりなのが自然だった。

私がどんなに謙太郎にしてあげたくても、何も持ってない⋯⋯ 。
私はただ、すべてで謙太郎が好きなだけだ。
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