響は謙太郎を唆す 番外編 お母さんの入院
その日、私がお母さんとリハビリ室で歩行訓練をしている時に、お父さんが顔を出した。
その後ろに、真っ直ぐな綺麗な髪の、とても育ちの良さそうなお嬢様2人も一緒だった。
ドクン、と心臓がなった。
《お怪我なさったって、おじさまからお聞きしました。いかがですか?母がよろしくって言っておりましたのよ》
《あらー》
とお母さんもにこやかに応じる。
上流の世界、
綺麗な谷に流れる清流のような話し方。
気の利いたお見舞いの品を《おば様お好きでしょう?》と渡す
その口調。
何かを習って得たものではない、その優雅な物腰。
彼女達の後ろに見える家や財力や文化。
伝統。
お金を得ているだけではなく、長年積み重なったそのお金持ちの人の、ちゃんと理由があってお金持ちだし、それを継いでいく事でしか出来ないその責任と、積み重ねた日々に伝統。
そしてプライド。
足元が崩れるように感じる。
私個人が信じて謙太郎にささげるもの。
たかがしれてる。
こんな個人の愛情だけでなく、謙太郎にはもっと、もっと豊かな物をあげれる女性たちがいて、謙太郎は受けるだけの資質や育ちをしている
家や財力や文化、すべてを背負ってそれを謙太郎に渡せる女性がいる。
彼はそれを手にする事が出来る。
私では足りない。
謙太郎にそんな人生、申し訳ない。
古傷がジクジク痛むように、あの紗代子と謙太郎がいた50周年パーティーの時、私が見た世界が広がる。
私の持っていないもの。
謙太郎にどんな努力をしても渡せないもの⋯⋯ 。
「響! 」
いきなり、リハビリ室の戸口から、今思い浮かべていた、私がすべてをかけて思っている人の声がした。
謙太郎が入ってきた。
背の高い彼が堂々と姿を現すと、その場が彼の雰囲気にのまれる。
謙太郎は物怖じしない。
3年ぶりに会う両親にも、何の遠慮もしなかった。
ズカズカと近づいてきて、私に話しかけた。
「おかしいと思ってたんだ。俺に何も言わないから。ずっとここに来てたんだろ?」
お母さんとお父さんとお嬢様たちも黙った。
謙太郎は堂々と立っていた。
全然動じずにゆっくりと全員を見た。
それからお母さんを見て、
「何その足?」
と笑った。お母さんが、
「あなた、おそいわよ。今頃お見舞い?役に立たないわね」
それから、一呼吸おいて、
「もう治っちゃうところだわ」
と、フフンと偉そうにした。
お父さんが連れてきたお嬢様方が《あら〜仲直りされたの?》とか《相変わらずしっかりされてて〜》とか口々に、流れるように話し始めた。
知り合いなんだ、謙太郎⋯⋯ 。
その中心に、謙太郎は自然にいる。
お父さんは黙ったままじっと謙太郎を見てる。
「どうしてた、3年ぶりじゃないか」
と言った。
私は涙がこみ上げてきた。
どんなに抑えようと思っても、こんなところで、こんな時に、和解の時、謙太郎の大事な時にも私はだめだな、と思いながら、こみ上げて、喜ばしさを差し置いて、心の古傷が新しく開くように思った。
いるべき場所に当然のように、しっかりと立つ謙太郎を見てしまう。
謙太郎が私の様子に気がついて、
「大丈夫か?」
と私に聞いた。
お嬢様の1人が
「あら〜謙太郎さんのお知り合い?失礼しちゃったわぁ〜、ご挨拶もせず。お手伝いの付き添いさんかと思ったわ〜」
と、謙太郎に軽く触れる。
綺麗な指、
アクセサリー、
香水、
仕草、
艶やかな髪、
見上げる自身ありげな横顔。
何よりグサっとささる言葉。
《お手伝いの付き添いさんかと思ったわ〜》
彼女たちには身についた優雅な失礼さで、悪意を滲ませる。
自分達上流とあなたはそうではないと線を引く。
それは、本当にピンポイントに心にグサリと刺さる。
謙太郎の横にいたくて刺さる刃。
返事が出来ない。
おかしいと思われる。
いたたまれなくなって、
「部屋にもどってます」
とやっと言って、急いでリハビリ室から出た。
後ろで《あの方どちらの方?》とかお嬢様が聞く声がしていた。どちらの家の方でもない、ただの女の子だ、何もない。
涙が溢れてしまった。
怖くなった。
謙太郎を諦めないといけないのかと勝手に思って、震える。
わかってる。
謙太郎の気持ちを疑ったり、そんな事は全然思わないけど、すごく悲しくて、自信がなくなって、申し訳なくなって、お嬢様の隣に立つ彼の姿が辛い。
心が痛くなる謙太郎はいつだって、絶対私を不安にさせるような事しないのに、私1人がぎゅーーと心が締め付けられる。
今、切ったばかりの傷から血がどくどく流れるような痛み。
そんな事を思う事自体、謙太郎に申し訳なくてさらに不安になる。