恋とカクテル
#7 ジンライム
 駅前の大通りを抜けて、細い小道に入って坂を上る。

 途中坂道で振り返れば、眼前には暗く闇が落とされた海が広がっていて、月明かりが水面に揺れ、黒々とした海面からほのかに潮の香りが流れてくる。

 ここに来るのは、十二年ぶりかしら。

 私は坂を登り切った先にある丁字路の少し手前を左に行って二軒目、深い海のように青い扉をそっと開けた。

「いらっしゃいませ」

 爽やかさと渋さの両方を程よくまとめ上げた店長が、私に振り返る。

「空いているお席へどうぞ」
「あ、あの、待ち合わせをしているのですが、田代さん、もうきていますか?」
「はい!ご案内しますね」

 店長に連れられて、店の奥へと案内された先には、十年ぶりに会う元彼。

「おー、佳苗久しぶり」
「お久しぶりです、田代さん」

 私を席に案内してくれた店長が、「なになに田代くん、久々に来たと思ったら彼女連れてきてくれたんじゃないの」と彼をつつく。

 彼は「違いますよ~大学の後輩です、ここにも連れてきたことがありますよ」と笑って返した。

「それは失礼いたしました」店長は私に謝罪をしてくれたけれど、十二年も前一度きたきりですのでお気になさらず、と私は彼に倣って笑顔で返した。 

 彼も私も嘘はついていない。今は彼氏彼女ではないのでただの先輩後輩だし、当時私が彼女だった頃、彼のバイト先だったこの店に連れてきてもらったことがあるのも事実だ。

「げんきにしてた?」
「元気ですよ、田代さんも、お元気そうで何よりです」

 なぜ、今日私をここに呼んだんですか?
 その問いはまだ聞けそうにない。

 この街には彼との思い出がありすぎて、私は大学を卒業してから一度もここへきたことがなかった。彼との楽しい記憶を、ずっとずっとしまっておきたかったから。

 あの頃より、格好悪くなっていて欲しかった。お腹が出てきたとか、ちょっと頭が薄くなるとかなんでもいい、私が長年拗らせたこの思いを断ち切ってくれるような、膨らませて増長した思い出補正をぺちゃんこに潰してくれるようなきっかけならなんでも。

 でも彼はあの頃と変わらず、むしろずっと格好良くなっていた。

 少し緊張した私に、あの頃の笑顔のまま、彼が言う。

「佳苗、綺麗になったね」
「田代さんこそ、相変わらず格好良いですよ」
「いやもうすっかりおじさんだよ」
「まだ三十五じゃないですか」
「それなら佳苗はまだ三十二の女の子だ」
「女の子という歳は流石にとうに過ぎました」

 どちらともなく声を出して笑い、そこから会話に花が咲く。
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