こんなにも愛しているのに〜すれ違う夫婦〜

樹と茉里それぞれの思い

俺は終業時間ぴったりに仕事を終わらせ
会社を後にした。
足早に帰り道を急ぐ。
早く帰らないと
茉里とは会えないかのように。

電車に乗ってドアが閉まると
コートの中の携帯が震えた。

『斉木』

LINE表示が出た。

見たくない。

斉木に費やす時間は俺にはない。

ただ
『◯駅改札口で待っています。』
と読めた。

今日会社を休んでいるのに
何をしているんだ。
しかも
俺の自宅の最寄り駅をなぜ知っている。

こんなに面倒な子だったのか
斉木は。

駅の改札を出ると
心許ない様子の斉木が目に入った。
俺を見ると
少し微笑んで
そういう顔を見ると俺の苛立ちが増してくる。
勝手な男だ。
最低だ。

「室長、申し訳ありません。
こんなにでもしないと、会ってくださらないと思って。」

「斉木、俺たちの立場はわかっているか。
しかも俺の最寄りの駅とかありえんだろう。」

「どうしても会って、お話をしたかったんです。」

「はぁ、、、」

「あんなLINEでの、やりとりなんかで私は納得できません。」

「10分しか時間がない。俺も妻と話をしなくちゃいけない。」

そこから
人に聞かれていい話でもないのはわかっていたので、
駅近くの公園に寒かったけど向かった。

「どうして俺の最寄りの駅がわかった。」

「以前飲み会の時に、三谷さんたちと話してらしたのを聞いて、知っていました。
三谷さんがマンションを買おうかと言うお話をされていた時です。」

「はぁ、、、そうか。」

「私、室長のことが好きでした。」

「斉木、それをこの期に及んで言うのはフェアじゃないな。
俺はいつも不器用に立ち回って、加藤たちに叱られながら、
陰で泣きながらも頑張っている
お前を見て、励まそうと思った。」

「これが私ではなく他のアシスタントさんでもそうなさいましたか。」

「多分、したと思う。
斉木が辞めますと言って来たときにこのまま辞めても、
どこへ行っても同じだと思ったんだ。
せめて、仕事ができるアシスタントまで育てて、
それから退職をしてもいいんじゃないかと。」

「加藤さんからご自分のアシスタントにつけて下さって、
仕事をうまく回せるようになったら、
ご褒美をくださって。。。
私が自分では行けないようなレストランに連れて行ってくださいって、
お願いしたんですよね。」

「斉木の頑張りぶりに手応えを感じていたからな。」

「私は室長の目が私にだけ向けられているのが嬉しかった。
加藤さんや他の人から、室長に媚びているって言われても平気だった。
室長といられるんですもの。
みんなには一言も言っていません。だってそうなったら、
室長は私と距離を置かれるでしょう?」

「加藤から、斉木との距離が近すぎると言われた。言わなくても、
周りは苦々しく思っていたようだな。」

「私も少し優越感に浸っていました。室長から誰よりも大切になされているって。。。
知ってました。室長が、奥様のことを一番愛していらっしゃることを。飲み会の時なんか
奥様とお嬢さんのことを話される時、それはそれはとろけるような笑顔をされているから。
デスクの脇の引き出しに、奥様とお嬢さんの写真を入れていらっしゃるのも知っています。」

斉木はほーっと白い息を吐くと遠くを見つめたまま話を続けた。

「でも 何処かで勘違いしたんです。
私が励ましてください、とかご褒美をくださいとか言うたびに励まして、
レストランで食事をして
その時間室長と私だけの時間を過ごしているんだと思うと、
もしかして、室長は私を選んで
くれるかもしれない。奥様やお嬢さんよりも。
だって、奥様とこうやって食事に行くこともないし、
笑いながら食事をすることもあまりないなぁ
って言われるんですもの。勘違いもするでしょ?」

「そうだな、、、だからと言って、、」

「いえ、わかっているんです。だからと言って、奥様の代用を求めているわけでも
私に心を、惹かれているわけでもない。
たまたまそこに私がいて、気楽でいられたからですよね。出来の悪い部下が育っている。
進路指導の先生みたいに生徒を教え導いていたのかもしれない。
でも
私は生徒でもなければその辺の部下でもなく、女なんです。
元々、好意を持っていた上司に優しくされて、
私だけのために食事に連れて行ってくれて
楽しい話をしてもらって、、、私が室長の特別な女になったような気がするのも
無理じゃないでしょ。」

「誕生日だって、お祝いをしてくださってプレゼントまでくださった。
私の誕生日に。
私がねだったんですけど。
それで私、室長に一回でいいんです。それで、もう忘れますから抱いてくださいって、
お願いしました。」

俺はもう斉木の顔を見ることができなかった。
どこか
遠くで話すような斉木の話に自分の考えのなさに、一人前に育てようと思った自分の傲慢さを
打ち砕かれていた。

「室長は断られた。
俺は妻が大事だ。妻が大事なのに、そう言うつもりが一切ない女を抱くなんてことはできない。
斉木も妻子がいる男性に対して、自分を貶めるようなことは言うな。
きっと、後悔をする。
そんな刹那的な気持ちは、やがては自分の身を滅ぼすぞ。
一言一句、覚えています。
断られるだろうなぁとは思っていたのですが、いざ本当に断られると、
私の気持ちの持って行き場所がなくなってしまって。
あれからどうやって帰ったかも覚えていません。」

斉木の誕生日に一緒に食事をすることもプレゼントをすることも
初めて、斉木といることに罪悪感を感じた日だった。
それから
斉木を誘うこともせず、
斉木からの誘いも断っていた。

わかっていたはずだ。
斉木が段々と自分に上司という気持ちだけではなく異性として近寄って来ているのが。
赤信号が点滅していた。。

「それから
案の定、室長からは少しずつ距離を取られるようになって。あんなことを言い出した自分に
呆れながらも、諦めきれない自分もいたんです。
室長に抱いてもらったら、諦められる。でも もう無理。。。
私、やっぱり出来が悪い部下でした。
もう辞めたいと思ったんです。最後に室長に抱いてもらったら、
そこで退職願を受け取ってもらおうって。
あの日、強引に会社で人目も気にせずに室長を食事に誘ったのは、あとがなかったからです。
そして わざとホテルの近くのレストランを予約して室長をホテルに誘いました。」

そうだ。
あの日ワインを一本頼んで、それを飲み続ける斉木に不安になったんだ。
もうよせという俺の言葉も聞かずに、
ほぼ一人でワインを空けていた。
それからポロポロと涙を流し出して
周りの目もあり
レストランにも居た堪れなくなって
出た途端、
斉木に手を取られて引っ張られて行ったんだ。
途中
斉木から
会社を辞めて実家に帰るから
私のことを愛してなくてもいいから抱いてください。

泣きながら訴えられた。

「断られたら実家に帰らずに住所不定で訳がわからない人生を送ります。
抱いてくださったら、ちゃんと実家に帰ります。」

脅されたと言ってもいいだろう。
斉木の気迫に押されていたが
ホテルの前で俺は足を止めた。

斉木は手を離して俺の腕をとりなおすと
強引に入り口へ行こうと
無言のまま腕を引っ張った。

組んだ腕を強く引かれた途端
ましろに叫ばれたのだった。

「卑怯な手を使いました。
私だけが罰が与えられればよかったのに、
お嬢さんにあんなところを見られるなんて。
謝っても、許してもらえませんね。
室長は離婚されるんですか。」

「それは君の問題ではなく、俺と家族との問題だ。
ただ、君も相当きつい目に会うかもしれない。」

「そうですね。
あの時ホテルの前に一人置き去りにされときに、室長なんか離婚されて野垂れ死でもしろって
思いました。自分が蒔いた種なのに。
でも 室長も悪いんです。私に優しくするから。
奥様に私と食事に行くって、言われたことはありますか?」

「。。。。。」

「私には何のやましい気持ちもなかった、っておっしゃてる割には、
何となく感じるものなんです。
これが、少しやましい気持ちを持った時間なんだろうなって。
そういう気持ちにつけ込んだんです。」

確かにそうだ。
何のやましさもなかければ、茉里に食事代がカードで引き落とされるぞって、
言えたはずだ。
何処かで、言われれば不特定な部下と行ったと誤魔化せば済む話だと
、思っていたことがある。


「私、室長も私との時間を楽しまれたと思います。
私が室長との関係をこんない急いで進めなければ、
ゆっくりと時間をかければ、いつか
私を女として愛してくださることもあったんでしょうか。」

そう言って俺を見た斉木にこれまで感じたことがなかった女を、感じた。

「わかりませんよね。
これで最後です。
お嬢さんには本当に悪いことをしました。
奥様には、、、室長と私は共犯だと思います。
失礼します。」

斉木は俺に毒を浴びせると
一礼をして駅の方へ戻って行った。

共犯か。
俺は自分に言い訳をしながら、斉木を利用していたのかもしれないな。
最低なやつだ。

でも
茉里と離婚をするなんて考えてもいない。
なりふり構わずに茉里に謝ろう。
あの時とは違うんだ。
もう
誤魔化せない。
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