精霊たちのメサイア
38.5【閑話】奇跡
38.5【閑話】奇跡
夕暮れ時、自室で外を眺めながらお茶を飲むジュリア。今でも利き手である右手の感覚は消えず、その手でカップを取ろうとするが触れることすら叶わない。部屋からの眺めも今まで見てきたものとは変わってしまった。
魔物に襲われ、傷は塞がり身体は元気になった。けれど失った右手と右目は戻らず、心の傷だけが深く残った。食欲も失せ、食の細くなったジュリアの事を使用人たちはとても心配している。キラキラと輝く様な笑顔ではなく、無理して笑うその顔を見て皆悲しみで溢れた。
「おかわりは如何ですか?」
「えぇ、頂くわ」
側に仕えている専属侍女のルフィナは慣れた手つきでお茶を注ぎ直した。その時外から落ち着きのない音が聞こえ始め、ジュリアとルフィナはドアへ視線を向けた。
「確認して参ります」
ルフィナがドアを開けようとした時、勢いよくドアが開き身体をよろけさせた。
「な、何事ですか!?」
息を切らして部屋に入ってきたのは婚約者であるテオドール、そして兄であるトゥーサン、その後ろにはジュリアが兄同然の様に思っているパトリックとジュールの姿があった。
「婚約解消の手続きにいらしてくれたの?」
ジュリアは静かに笑って、真っ直ぐテオドールを見つめた。
体の一部を失ったジュリアは直ぐに自分から婚約解消の話を持ちかけた。それに対してテオドールは絶対に受け入れられないと声を荒げたが、いっさいジュリアは聞き入れなかった。しまいには『解消のお話をする気になったらいらして下さい。 それ以外の話をするつもりはございませんので、もうここには来ないで下さいませ』と言い放ったのだ。自分の気持ちを押し殺して手放す事が、テオドールにしてあげることのできる最後の愛だと思ったからだ。
「ジュリア、この瓶の中が見える?」
テオドールはジュリアの側で膝を突き、小さな瓶を見せた。
「空っぽではありませんか。 私は頭まで失ったつもりはありませんが?」
テオドールに嫌な態度を取るたびに、ジュリアの心には傷がついていく。
「この瓶は俺にしか扱えない。 ジュリアには見えていないかもしれないけど、この中には薬が入ってる。 今から飲ませるから飲んでほしいんだ」
「そんな得体の知れないお薬なんて飲みたくありませんわ」
「この薬を飲んでもジュリアの身体が良くならなければ、婚約を解消する」
真剣な顔のテオドールから目が離せなかった。気が付けばジュリアは「分かったわ」と返事を返していた。
テオドールの手から運ばれた瓶はジュリアの口元へと運ばれた。口の中に流れる水の様な感覚にジュリアは驚いた。喉元が動き、世界樹の涙がジュリアの身体の中へと流れていく。するとジュリアの身体が光に包まれ、部屋にいた者たちは目を細めた。
光がおさまったと思ったら、直ぐ様テオドールはジュリアを抱きしめた。
「テ、テオ!?」
驚いたジュリアがテオドールの体に触れた時、彼女は気づいた。失ったはずの右手が本当にテオドールの背中に触れているということに。
「どういう……ことなの……そんな…だって……私の右手は……」
テオドールはジュリアの片目に付けられていた眼帯を外し、両手で頬を包み込み瞳を覗き込む。
「すごく綺麗な空色の瞳だ」
テオドールの言葉に、とうとうジュリアの瞳から涙がこぼれ落ちた。
「これでずっと一緒に居てくれる?」
ジュリアは両手をテオドールの首に回し、ギュッとしがみつく様に抱きついた。
「テオ…ごめ、なさっ__ぃ……本当は、ずっと一緒に居たかった__っ」
しばらく黙っていたトゥーサン、ジュール、パトリックもそろそろ譲れと言わんばかりにジュリアを抱きしめ、喜びをあらわにした。暫く泣いていた使用人たちは部屋を退出し、今はジュリア、テオドール、トゥーサン、ジュール、パトリックの5人だけになった。
テオドールの隣に座ったジュリアは少しも離れたくないと言う様に、テオドールにぴったりとくっついて座った。その様子を見てトゥーサンたちは呆れた様に、そしてなによりも嬉しそうに微笑んだ。
「このお薬はどうやって? 作って下さった方がいるならお礼をしたいわ」
「これは作ってもらったんじゃないんだ。 世界樹の涙は知ってるよね?」
「あの御伽噺に出てくる精霊の秘薬よね? まさか……本当に? ミーシャが見つけてきてくれたの?」
「ううん、これをくれたのはミーシャじゃない」
「それなら__」
「ジュリア、世界樹の涙をくれたのはレイラ嬢だ」
トゥーサンの言葉にジュリアの目が見開いた。
「レイラが? どうしてレイラが世界樹の涙を……」
「精霊王様がレイラにあげたの」
ミーシャの言葉に全員が凍りつく様に固まった。
「そうか……それでカレルはレイラが勝手に人にあげてしまうことで怒られないか心配したんだね」
トゥーサンの言葉にシュンと頭を下げるカレル。そんなカレルの頭を優しく撫でる。
「レイラは精霊王様は怒らないって言ってた。 レイラもジュリアに元気なってほしいからテオにあげたって!」
「レイラにはどれほどお礼をしても……どんなにお礼を言ってもきっと言い足りないわ。 もしも今回のことで精霊王様の怒りに触れてしまったなら、私も一緒に頭を下げるわ」
「俺も同じ気持ちだ」
「お前たちだけではない。 私も同じ想いだ」
「そうですね」
「ああ、そうだな!」
ジュリアの欠損した身体が元に戻ったという話は瞬く間に城中に知れ渡った。その話を聞いたアレクサンダーは直ぐにレイラが絡んでいると勘づいた。
「まずい事になったね」
「どーすんだよ!? メサイアだって国中に知られんのも時間の問題だぞ!? 国中どころか国外にもだ! 婚約者もいねーんだ! 他国の王族から求婚されてもおかしくねーんだぞ!?」
アレクサンダーはただただカップの中のお茶を静かに見つめている。その直ぐ側で騒ぎ立てるルシオに小さくため息を吐くロレンソ。
その日アレクサンダーは自分の考えを口にする事はなかった。
夕暮れ時、自室で外を眺めながらお茶を飲むジュリア。今でも利き手である右手の感覚は消えず、その手でカップを取ろうとするが触れることすら叶わない。部屋からの眺めも今まで見てきたものとは変わってしまった。
魔物に襲われ、傷は塞がり身体は元気になった。けれど失った右手と右目は戻らず、心の傷だけが深く残った。食欲も失せ、食の細くなったジュリアの事を使用人たちはとても心配している。キラキラと輝く様な笑顔ではなく、無理して笑うその顔を見て皆悲しみで溢れた。
「おかわりは如何ですか?」
「えぇ、頂くわ」
側に仕えている専属侍女のルフィナは慣れた手つきでお茶を注ぎ直した。その時外から落ち着きのない音が聞こえ始め、ジュリアとルフィナはドアへ視線を向けた。
「確認して参ります」
ルフィナがドアを開けようとした時、勢いよくドアが開き身体をよろけさせた。
「な、何事ですか!?」
息を切らして部屋に入ってきたのは婚約者であるテオドール、そして兄であるトゥーサン、その後ろにはジュリアが兄同然の様に思っているパトリックとジュールの姿があった。
「婚約解消の手続きにいらしてくれたの?」
ジュリアは静かに笑って、真っ直ぐテオドールを見つめた。
体の一部を失ったジュリアは直ぐに自分から婚約解消の話を持ちかけた。それに対してテオドールは絶対に受け入れられないと声を荒げたが、いっさいジュリアは聞き入れなかった。しまいには『解消のお話をする気になったらいらして下さい。 それ以外の話をするつもりはございませんので、もうここには来ないで下さいませ』と言い放ったのだ。自分の気持ちを押し殺して手放す事が、テオドールにしてあげることのできる最後の愛だと思ったからだ。
「ジュリア、この瓶の中が見える?」
テオドールはジュリアの側で膝を突き、小さな瓶を見せた。
「空っぽではありませんか。 私は頭まで失ったつもりはありませんが?」
テオドールに嫌な態度を取るたびに、ジュリアの心には傷がついていく。
「この瓶は俺にしか扱えない。 ジュリアには見えていないかもしれないけど、この中には薬が入ってる。 今から飲ませるから飲んでほしいんだ」
「そんな得体の知れないお薬なんて飲みたくありませんわ」
「この薬を飲んでもジュリアの身体が良くならなければ、婚約を解消する」
真剣な顔のテオドールから目が離せなかった。気が付けばジュリアは「分かったわ」と返事を返していた。
テオドールの手から運ばれた瓶はジュリアの口元へと運ばれた。口の中に流れる水の様な感覚にジュリアは驚いた。喉元が動き、世界樹の涙がジュリアの身体の中へと流れていく。するとジュリアの身体が光に包まれ、部屋にいた者たちは目を細めた。
光がおさまったと思ったら、直ぐ様テオドールはジュリアを抱きしめた。
「テ、テオ!?」
驚いたジュリアがテオドールの体に触れた時、彼女は気づいた。失ったはずの右手が本当にテオドールの背中に触れているということに。
「どういう……ことなの……そんな…だって……私の右手は……」
テオドールはジュリアの片目に付けられていた眼帯を外し、両手で頬を包み込み瞳を覗き込む。
「すごく綺麗な空色の瞳だ」
テオドールの言葉に、とうとうジュリアの瞳から涙がこぼれ落ちた。
「これでずっと一緒に居てくれる?」
ジュリアは両手をテオドールの首に回し、ギュッとしがみつく様に抱きついた。
「テオ…ごめ、なさっ__ぃ……本当は、ずっと一緒に居たかった__っ」
しばらく黙っていたトゥーサン、ジュール、パトリックもそろそろ譲れと言わんばかりにジュリアを抱きしめ、喜びをあらわにした。暫く泣いていた使用人たちは部屋を退出し、今はジュリア、テオドール、トゥーサン、ジュール、パトリックの5人だけになった。
テオドールの隣に座ったジュリアは少しも離れたくないと言う様に、テオドールにぴったりとくっついて座った。その様子を見てトゥーサンたちは呆れた様に、そしてなによりも嬉しそうに微笑んだ。
「このお薬はどうやって? 作って下さった方がいるならお礼をしたいわ」
「これは作ってもらったんじゃないんだ。 世界樹の涙は知ってるよね?」
「あの御伽噺に出てくる精霊の秘薬よね? まさか……本当に? ミーシャが見つけてきてくれたの?」
「ううん、これをくれたのはミーシャじゃない」
「それなら__」
「ジュリア、世界樹の涙をくれたのはレイラ嬢だ」
トゥーサンの言葉にジュリアの目が見開いた。
「レイラが? どうしてレイラが世界樹の涙を……」
「精霊王様がレイラにあげたの」
ミーシャの言葉に全員が凍りつく様に固まった。
「そうか……それでカレルはレイラが勝手に人にあげてしまうことで怒られないか心配したんだね」
トゥーサンの言葉にシュンと頭を下げるカレル。そんなカレルの頭を優しく撫でる。
「レイラは精霊王様は怒らないって言ってた。 レイラもジュリアに元気なってほしいからテオにあげたって!」
「レイラにはどれほどお礼をしても……どんなにお礼を言ってもきっと言い足りないわ。 もしも今回のことで精霊王様の怒りに触れてしまったなら、私も一緒に頭を下げるわ」
「俺も同じ気持ちだ」
「お前たちだけではない。 私も同じ想いだ」
「そうですね」
「ああ、そうだな!」
ジュリアの欠損した身体が元に戻ったという話は瞬く間に城中に知れ渡った。その話を聞いたアレクサンダーは直ぐにレイラが絡んでいると勘づいた。
「まずい事になったね」
「どーすんだよ!? メサイアだって国中に知られんのも時間の問題だぞ!? 国中どころか国外にもだ! 婚約者もいねーんだ! 他国の王族から求婚されてもおかしくねーんだぞ!?」
アレクサンダーはただただカップの中のお茶を静かに見つめている。その直ぐ側で騒ぎ立てるルシオに小さくため息を吐くロレンソ。
その日アレクサンダーは自分の考えを口にする事はなかった。