伯爵令嬢のつもりが悪役令嬢ザマァ婚約破棄&追放コンボで冥界の聖母になりました
 間一髪ゴキブリは逃げ出した。

 もういい!

 いったいなんなのよ!

 もう誰もわたくしの前に現れるんじゃありませんよ!

 逃げるのならば最初から現れなければいいでしょうに。

 エレナは何度も何度も枕を壁にたたきつけた。

 ゴキブリなんかもうどうでもよかった。

 黒い虫だろうと、暗闇だろうと、それがどこにいようとなんであろうと、そんなことはもうエレナにとってはどうでもよかった。

 枕の中の羽毛が飛び散り、白いほこりと一緒に舞い上がる。

 たった一匹のゴキブリすら潰すこともできないようなわたくしが一体何の罪を犯したというのでしょうか。

 クローゼットの脇に置かれた鏡に自分自身が映っている。

 サキュバスはどこへ行ったの?

「あんたはあたし、あたしはあんた。だから出てきなさいよぉ。ていうか、あたしがそっちにいってあげよっかぁ」

 ものまねすら下手だ。

 そんなつまらない自分自身など粉々に砕けてしまえばいい。

 鏡の中の自分自身に向かってエレナは拳を突き出した。

 音を立てて割れたガラスの破片が飛び散る。

 鋭いガラスの破片を取り上げてエレナはのどにあてた。

 そんなことをしても苦しみが増すばかりでここでは何の意味もないことは分かっていた。

 ならばいっそのこと、木になる青い実でも食べた方がいいのかもしれない。

 もう、どっちでもいい。

 エレナがのどにガラス片を突き立てようとしたそのときだった。

 屋敷の外から悲鳴が聞こえてきた。

 若い女の悲鳴だ。

 崩れた鎧戸の隙間から外を見ても、暗闇の様子は分からない。

 ただ、悲鳴は確実に聞こえた。

 ひどく懐かしい声のような気がする。

 エレナはガラスの破片を握りしめたまま屋敷を飛び出した。

 また裏切られるのではないか。

 また絶望させられるのではないか。

 だからといって、行かないわけにはいかない。

 自分にとって大切な人が助けを求めているのなら。

 自分にできることなど何もないかもしれない。

 だけど、行かなければならないのだ。

 キャァアアアアア!

 聞こえる。

 はっきりと聞こえてくる。

 エレナは悲鳴のする方へ急いだ。

 フィアトルクス!

 光あれ!

 手にしたガラスが輝き、道を照らす。

 光に導かれてエレナは駆けつけた。

< 105 / 117 >

この作品をシェア

pagetop