愛がなくても、生きていける
◆花と太陽
「中村くん」
厳しい暑さが訪れ始めた、7月半ば。
昼下がりのオフィスで呼ばれた名前に顔を上げると、デスクの隣には書類を手にした女性社員が立っていた。
「この書類印刷しておいたよ。明日の会議で使うでしょ?」
「飯田さん、さすが。助かるよ、ありがとう」
お礼を言いながら書類を受け取る俺に、彼女はマスカラの塗られた長いまつ毛を動かしてにこりと笑う。
「お礼なら、言葉じゃなくて行動で示してほしいな」
「行動で?じゃああとでコーヒーでも奢って……」
「それもいいけど」
そう言いながら彼女は、毛先を巻いた茶色く長い髪を耳にかけながら、俺の耳元に唇を寄せる。
「せっかくならご飯とか行きたいな。休みの日に、ふたりでゆっくり」
周囲に聞かれぬようにささやく彼女から漂うキツめの香水の匂いが鼻を刺激する。
思わずくしゃみがでそうになるのをぐっと堪えて、俺は笑顔で答えた。
「そうだね。今度そのうち」
「本当?約束だよ?」
「もちろん。でもまだしばらくは仕事が立て込んでてさ、落ち着いた頃にゆっくり」
なんとも無難な言葉で答えた俺に、彼女は「絶対だよ?」と念押ししてその場をあとにした。
鼻の奥に残る強い香りに対する不快感を顔に出さないように笑顔を保ったままでいると、突然背後から首に腕を回される。