前の野原でつぐみが鳴いた
 帰宅後、夕飯を食べ、シャワーを浴び終えた鹿乃江がピンチハンガーを使って洗濯物を室内に干していると、ポコン♪ ポコン♪ と聞き覚えのある音がリュックの中から聞こえてきた。
(あれ? ミュートしてたはず……)
 リュックを探りスマホを取り出すが通知は来ていない。
「んん?」
 念のためアプリを立ち上げてみるが、やはり新着メッセは届いていなかった。
「なんで?」
 そのとき、再度ポコン♪ と音がする。しかしその音は、手の中のスマホではなくリュックの中から聞こえている。不思議に思い中身をすべて出した。ついでに中身を整理しようと、帰り際に職場で詰め入れたサブバッグを開き、中を覗く。と、何故かそこには、財布と一緒に見知らぬスマホが入っていた。
「えっ?」
 身に覚えのない端末機を取り出してみる。今日一日の行動を思い返すが、入れた記憶はない。
「えっこわい」
 そのときもう一度通知音が鳴り、見知らぬスマホの画面にメッセの新着通知が表示された。すべて短文で書かれたメッセは『このスマホを拾った方へ』という一文から始まっている。

『このスマホを拾った方へ』
『良ければ返信ください』
『ロックはかかってないのですぐ使えます』
『いまは先輩のスマホから送ってます』

 メッセはすべて【久我山みやび】から受信されている。
 また新たに通知音が鳴って、メッセの新着通知が更新された。

『昼間、ぶつかりそうになった男です』

(あー、“肌の綺麗な男の子”か)
 (くだん)の青年の顔を思い出す。
 少し悩んで、通知からメッセアプリを起動すると個別ルームが表示された。
 こんばんは、と打とうとしたところで新着メッセが届く。

『拾ってくれた方ですか?』

『はい、そうです。』送信と同時に既読のサインがつく。
『通知拝見して、スマホお借りしてます。』送信。既読。

『間違っていたらごめんなさい』
『昼間の女性の方ですか?』

『はい。』
『ぶつかりそうになったとき、』
『何故かバッグに入ってしまったみたいで。』
『気付くの遅くなってすみません。』

 送信者のパターンに倣い、幾度かに分けて短文を送る。既読はすぐにつくが、しばらく返信がない。
「んー……」
 鹿乃江は少考して、メッセを送った。

『明日、警察に届けますので』送信。既読。

 お昼すぎたら問い合わせてみてください、と打ったところで、送信する前にメッセが届く。

『まってください』

 文字通りの要求に、鹿乃江は送信ボタンを押せなくなった。

『ちょっと警察行く時間なくて』
『直接返してほしいんです』
『明日とか、どうでしょう』

 突然の提案に回答を躊躇する。
(うーん。まぁお互い手続き面倒だよね……)
 業務上、店で拾得した落とし物を届けに行くが、預けるにも受け取るにも多少の時間と手間がかかるのを鹿乃江は()っている。
 仕事以外で警察に行くのは正直おっくうだ。“肌の綺麗な男の子”は、見た限り性格の良さそうな青年だった。
(ちょっと会って渡すだけならいいか……)

『ダメですか?』

 考えている時間を躊躇の時間だと解釈されたのか、窺うようなメッセが届く。明日も出勤で家から出なければならないし、終業後なら行けないことはない。
 さきほど入力した文章を削除して、新たにメッセを送る。

『大丈夫です。』
『仕事の後なので夜になってしまいますが……。』
『それでもよろしいですか?』

『もちろんです!』
『僕は前原紫輝といいます』
『シキって読みます』

『鶫野 鹿乃江 (つぐみの かのえ)です。』

 遅ればせながらの自己紹介をしあって、待ち合わせの約束をした。
< 4 / 20 >

この作品をシェア

pagetop