前の野原でつぐみが鳴いた
 翌日。
 てっきりスマホが入り込んだであろう鹿乃江の職場近くで会うのかと思っていたが、そうではなかった。
(そういえば車で移動してたしなぁ)
 移動に自宅とは逆方面行きの電車を利用したため、警察に届けたほうが楽だったかも、と考える。
(まぁいいや。こっちのほう久しぶりだし、帰りにどこかのお店眺めて帰ろ)
 約束の10分前、道案内アプリを頼りに、紫輝に指定された店に到着した。
 都心の繁華街でも比較的人通りの少ない場所に佇む、小ぢんまりとした【コリドラス】という名前の喫茶店だ。
 少し古めかしい入り口を通る。
 綺麗に保たれたレトロモダンな内装は、歴史を感じる重厚感がある。少々手狭な一階のカウンター席にはスツールが、広い地下フロアのテーブル席で構成された客室には、座り心地の良さそうなビロード張りのソファと飴色の机が規則正しく配置されている。
「いらっしゃいませ。一名様ですか?」
「待ち合わせなんですけど……」
「かしこまりました」
 店員に案内されたのは、地下へ続く階段下スペースの壁際に(しつら)えられた半個室の四人席だった。
「あっ」
 紫輝が鹿乃江の姿を視界に捉え、小さく声をあげて立ち上がった。
 鹿乃江は微笑んで会釈を返す。
「お決まりになりましたらお呼びください」と言い残して立ち去る店員に、「ありがとうございます」と二人で礼を言う。
「あらためて……」小さく咳ばらいをして「前原(マエハラ)です」紫輝が頭を下げた。
「鶫野です」
 お辞儀をして席に着く。
「すみません、わざわざ来て頂いて」
「こちらこそ、すぐにお返しできずにすみません」
 鹿乃江が隣の空いた椅子にバッグを置くと、
「何にしますか?」
 紫輝がメニューを広げ、鹿乃江に差し出す。
 スマホを引き渡したらすぐに帰るつもりだったが、どうもそうはいかないようだ。
「じゃあ……ミルクティーで」
「了解っす」
 紫輝は慣れた様子でフロアを巡回する店員を呼び、カフェオレとミルクティーを注文した。
「あの、これ……」鹿乃江がバッグの中からエアキャップ封書を取り出し「念のため、ご確認ください」うやうやしい業務口調で紫輝に差し出した。
 一瞬なにを渡されたかわからなかったのか、紫輝が疑問符を顔に浮かべて受け取り、中身を確認する。中にはもちろん、紫輝のスマホが入っている。
「あっ。えっ。これ、入れてくださったんですか?」
「なにかの拍子に壊してしまったら申し訳ないので……」
「えーっ、すごいっすね」癖なのか、何度も口元や首筋に手を当てながら喋る。
「いえ……職業病みたいなもので……」
「なんのお仕事なされてるんですか?」
「店舗事務です」
「テンポジム」
 漢字変換ができていない口調で復唱する紫輝に、
「お店で、事務業をやっているんです」
 鹿乃江がキーボードを打つジェスチャー付きで簡単に説明をする。
「あぁ! へぇ~! どんなことやるんですか?」
「えーっと……」
(めっちゃグイグイくるな~)
 おそらく二十代前半であろう紫輝の気力をまぶしく感じながら、鹿乃江が業務内容をかいつまんで説明した。そのうちに注文したドリンクが運ばれてくる。
 店員に礼を言って、
「私の話ばかりですみません」
 バツが悪そうに鹿乃江が小さく頭を下げると、
「いやっ、オレが聞きたいんで気にしないでください」
 紫輝が破顔した。
(すごい……ナチュラル人たらしだ……)
 多少強引に押し切られても悪い気がしない。紫輝にはその才能がある。計算している感じもないので、天性の勘のようなものだろう。
(モテそうな人だな~)
 紫輝と会話をしつつ、仕草や言動をつい観察してしまう。見た目はもちろんだが、耳馴染みの良い声や程良くほぐれた言葉遣いもチャームポイントとなっている。
“二次元みのある人”というのが、紫輝と話した印象だ。
 お互いがドリンクを飲み終えたところで、鹿乃江が口を開く。
「ごめんなさい、長々と……。そろそろ…」
 気付けば待ち合わせから1時間ほど経っていた。
「あっ。そう、っすね。こちらこそ、スミマセン。ありがとうございます」
「とんでもないです」
 鹿乃江が伝票に手を伸ばそうとすると、「いえっ、ここは……」紫輝が制した。
「え、でも」
「来ていただいたのに申し訳ないので」
 何度も断るのも失礼かと鹿乃江が手を膝に戻し、お辞儀をした。
「ありがとうございます。ごちそうさまです」
「いやいや、全然」
 バッグを持って席を立とうと準備している鹿乃江に、
「あのっ…!」
 紫輝が意を決したように口を開いた。
「はい」
「…ちゃんとお礼がしたいので、連絡先を交換してもらえませんか」
 改まった様子で紫輝が鹿乃江に提案する。鹿乃江は一瞬驚いて、すぐにやんわりとした笑顔になる。
「いえいえそんな。そこまでしていただくようなことしてないですし」
「いやもぅ、大事な連絡先とかデータが入ってるやつだったんで、本当に助かったんです」それに、と付け加え「お話してて、楽しかったんで……」傾聴しないと聞き逃しそうなくらいの小声で紫輝が言った。
 その言葉を聞き逃せなかった鹿乃江がまた一瞬驚く。
「ダメっすかね……」
 少し上目遣いになって、紫輝が鹿乃江を見つめた。
(うっ……犬みがすごい……)
「…ほとんど、アプリしか使ってないですけど……」
 受け入れた鹿乃江の言葉を聞いて、紫輝がパァッと笑顔になる。何度も小さく頷いて、スマホを手に取った。
「ふるふるしましょう、ふるふる」
 アプリを開いて紫輝がウキウキと言う。
(可愛いなー)
 思わずフフッと微笑んだ鹿乃江の反応に、紫輝が苦笑して見せた。
「なんかすみません。オレばっかり浮かれちゃって」
「あっ、ごめんなさい。そうじゃなくて。なんかこう……微笑ましくて」
 男性に“可愛い”というのは失礼な気がして、別の形容詞をチョイスしてみる。
 紫輝はちょっと意外そうな表情を浮かべて、顔をくしゃっとさせ照れ笑いを浮かべた。
(わーかわいい。こっちが照れちゃう)
 鹿乃江は微笑み返しながらアプリ内のメニュー画面を操作して、【ふるふる】モードに切り替える。
「はい」準備ができたことを伝えると、紫輝もスマホを手に取った。
「じゃあ」
「はい」
 二人でスマホを左右に揺らす。程なくして【友達】に新しいユーザーが追加された。
 紫輝は画面を嬉しそうに眺めて
「また、連絡、します」
 はにかんで言った。
「……はい」
 社交辞令かもしれないが、それでもなんとなく、心が弾んだ。

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