幸 –YUKI–
次の日も、次の日も、目が覚めて見えるのは冷たい部屋の中だった。
あれから1週間。まるで過去に戻ったことが嘘だったように、私はあの時と変わらぬ日常を過ごしていた。
ただ1つ変わったことがあるなら、仕事のミスが増えたことだ。
気付いたらぼんやりしていて、大丈夫?と声を掛けられることが多くなった。
今日も残業をしていた私に、先輩の柏木さんが声を掛けてきた。
「ちょっといい?」
呼ばれて、連れてこられたのは会議室だった。
また仕事のミスをしてしまったのだろうか。
まるで他人事のようにそんなことを考えていれば、大丈夫?と顔を覗き込まれる。
「え…あ…大丈夫です。」
「じゃないでしょ。最近ミス多いし、みんな心配してる。」
すみませんと、小さな声で呟いて頭を下げた。
「本当に…すみません…。ご迷惑おかけして…。明日も出勤して」
「明日は休みなんだから、休みなさい。」
はぁ、と深いため息をつかれて、肩が震えた。もう一度すみませんと告げて、俯いた。
周りに迷惑を掛けている。
呆れられるのは当然だ。
暫く沈黙が続いて、私は柏木さんの顔が見れずにただずっと机を見つめていた。
「何かあったの?」
聞こえてきた優しい声に顔を上げれば、柏木さんは心配そうに眉を潜めていた。そんな姿を呆然と見つめていれば、ふっと柏木さんが眉を下げて笑った。
「本当にさ、みんな心配してる。普段、沢村さん表情を表に出さないでいるから、それが急に心ここにあらずって感じでぼーっとしてて…。何かあったんじゃないかって、みんな言ってる。何かさ…悩んでるなら言って?何も役に立てないかもしれないけど、話を聞くことは出来るし、一緒に考えることだって出来る。吐き出して楽になるなら吐いちゃっていいんだよ。1人で抱え込まないで。」
その言葉に、自分を助けてくれたみんなの顔が浮かんで。
目の前で優しく笑う柏木さんに、思わず涙が溢れた。
「さ、沢村さん…?」
一度流れてしまった涙を止めることは出来なくて、ぼろぼろと涙は溢れ落ちていく。
「…っ…。」
嗚咽を漏らしながら泣く私に、柏木さんはハンカチをくれる。
「大丈夫。ゆっくりでいい。まずは泣こう。全部流しちゃおう。」
その言葉にまた涙が溢れて、震える手でハンカチを受け取った。
何分経ったか。呼吸が安定した頃、小さくすみませんと呟いた。
「ありがとう…ございます…。」
声を絞り出してお礼を言えば、いいえと優しい声が返ってきた。
瞳を閉じて、今まであった出来事を思い出す。
俯いたまま、私はぽつりと今まであった出来事を話し始めた。
信じてもらえるとか、そんなの今はどうでも良かった。
たとえこの記憶が夢だとしても、誰かにこの気持ちを吐き出したかった。
途中涙を流しながらも、過去に戻ったこと、サチのこと、自分の過去のこと、だんだんと自分が変われるようになったこと、全部を話した。
柏木さんはその間、ただ黙って聞いていてくれた。泣いてしまったときは、ゆっくりでいいよと言って頭を撫でてくれていた。
話が終わっても、私は顔を上げることなくぼんやりと机を見つめていた。
「でも、過去に戻ったことはちゃんと意味があったんじゃない?」
その言葉に顔を上げれば、柏木さんは真剣な眼差しでこちらを見つめていた。
そんな彼女に目を見開く。
「変だと…思わないんですか…。」
「え、なにが?」
「だって…過去に戻ったなんて可笑しいじゃないですか…。普通だったら…考えられない…。」
そう言えば、柏木さんはふっと笑った。その顔が誰かと重なって見えて。でもそれが誰なのかは思い出せなかった。
「確かに、私は体験したことないから実際にあるかなんて分からない。でもだからこそ、それがないのかも分からない。まぁ…実際にあったらいいなって思う。それに、沢村さんが嘘を言うようには思えないから。」
信じるよ、と彼女は言ってくれた。
その言葉に、既視感のようなものを覚えた。
あれ。この言葉…
「でも本当に、意味のあったことだと私は思うよ。」
「え…。」
「だって、こうして私に悩みを打ち明けられるようになった時点で、沢村さんは変われたんじゃないかな?」
変われた…?
「これからだってどんどん変われるよ。それに、無くなってしまったのは悔しいけど、またやり直せばいいんだよ。過去に戻って分かり合えたんだもん。それは今からだって遅くない。沢村さんが作った縁は、そう簡単に消えないと思う。」
『おねーさんが作った縁は消えないから。』
「っ」
サチは消える前、そう言っていた。
縁が消えない?それはどういうことなのだろう。
考え込む私に、柏木さんは笑った。
「何かあったら、また相談乗るから。沢村さんが出来ること、沢山あるんじゃないかな。恐れないで前に進んでみな。傷付いたって私が慰めるから、だから傷付いても大丈夫よ。」
「…っ…。…ありがとうございます…。」
「ふふ。表情が柔らかくなった。今度2人で飲みに行こう?」
じんわりと心が温かくなるのを感じながら、私は頷いた。
その時、コンコンとノックする音が聞こえて、柏木さんが返事をする。
「悪い柏木。来月入社する新入社員の件なんだが。」
そう言って顔を覗かせたのは課長で。柏木さんは大丈夫ですと言って立ち上がった。
「ごめんね。沢村さんはもう帰りな。お疲れ様。」
小声でそう呟いた柏木さんに、私も小さな声でお疲れ様ですと言って立ち上がった。
「すみません。確か、カワムラアキトくんですよね?」
その言葉に、私はピタッと動きを止めた。
今なんて…?
そう思って顔を上げれば、もう2人はそこにいなかった。
カワムラアキト。
それって…
「河村くん…?」
はっとなって、急いで2人を追い掛ける。
彼の名前は、河村明斗だ。
同姓同名かもしれない。けれどもし、縁というものが存在するのなら。
会議室を出れば、遠くで2人が立ち話をしているのが見えた。
真剣に話をしているのが分かって、割って話しに入ることは出来ずに諦めて歩き始める。
不意に思い出されたのは告白してくれた彼の姿で。思わず泣きそうになって俯く。
柏木さんと部長の横をお疲れ様ですと言って通りすぎ、自分の部署へ足を進める。
「ー分かりました。それにしても、幸華第一高校か…。弟と同じなんですよ。同級生だし。もしかしたら知ってるかもしれないです。」
その言葉に私は思わず立ち止まった。
幸華第一高校。
私と同じ高校。
じゃあ河村くんがここの会社に…。
「弟いるって言ってたな。名前はヨシミツだったか?カッコいい名前だよな。」
「そうなんです。武将の名前親が好きで。」
ヨシミツ。
かちりと、自分頭のなかで何かが繋がった。
振り返って、話をしている柏木さんの方へ歩み寄る。
「沢村さん?どうしたの?」
不思議そうに首を傾げる柏木さんの手元を見て、僅かな可能性を感じた。
柏木さんの笑顔が、言葉が、彼と一致した。
「柏木さん、旧姓なんですか?」
唐突な質問に、柏木さんはえ?!と声を上げながらも、タナカだけど…と口にした。
その事実に、自分の胸が高鳴るのを感じた。
「ありがとうございます。お疲れ様でした。」
頭を下げて、私はまた歩き始めた。
後ろから慌てたようにお疲れ様という柏木さんの声が聞こえて、笑みを溢す。
繋がっている。
みんなに、会えるかもしれない。
高鳴る胸をそのままに、私はそんなことを思っていた。
あれから1週間。まるで過去に戻ったことが嘘だったように、私はあの時と変わらぬ日常を過ごしていた。
ただ1つ変わったことがあるなら、仕事のミスが増えたことだ。
気付いたらぼんやりしていて、大丈夫?と声を掛けられることが多くなった。
今日も残業をしていた私に、先輩の柏木さんが声を掛けてきた。
「ちょっといい?」
呼ばれて、連れてこられたのは会議室だった。
また仕事のミスをしてしまったのだろうか。
まるで他人事のようにそんなことを考えていれば、大丈夫?と顔を覗き込まれる。
「え…あ…大丈夫です。」
「じゃないでしょ。最近ミス多いし、みんな心配してる。」
すみませんと、小さな声で呟いて頭を下げた。
「本当に…すみません…。ご迷惑おかけして…。明日も出勤して」
「明日は休みなんだから、休みなさい。」
はぁ、と深いため息をつかれて、肩が震えた。もう一度すみませんと告げて、俯いた。
周りに迷惑を掛けている。
呆れられるのは当然だ。
暫く沈黙が続いて、私は柏木さんの顔が見れずにただずっと机を見つめていた。
「何かあったの?」
聞こえてきた優しい声に顔を上げれば、柏木さんは心配そうに眉を潜めていた。そんな姿を呆然と見つめていれば、ふっと柏木さんが眉を下げて笑った。
「本当にさ、みんな心配してる。普段、沢村さん表情を表に出さないでいるから、それが急に心ここにあらずって感じでぼーっとしてて…。何かあったんじゃないかって、みんな言ってる。何かさ…悩んでるなら言って?何も役に立てないかもしれないけど、話を聞くことは出来るし、一緒に考えることだって出来る。吐き出して楽になるなら吐いちゃっていいんだよ。1人で抱え込まないで。」
その言葉に、自分を助けてくれたみんなの顔が浮かんで。
目の前で優しく笑う柏木さんに、思わず涙が溢れた。
「さ、沢村さん…?」
一度流れてしまった涙を止めることは出来なくて、ぼろぼろと涙は溢れ落ちていく。
「…っ…。」
嗚咽を漏らしながら泣く私に、柏木さんはハンカチをくれる。
「大丈夫。ゆっくりでいい。まずは泣こう。全部流しちゃおう。」
その言葉にまた涙が溢れて、震える手でハンカチを受け取った。
何分経ったか。呼吸が安定した頃、小さくすみませんと呟いた。
「ありがとう…ございます…。」
声を絞り出してお礼を言えば、いいえと優しい声が返ってきた。
瞳を閉じて、今まであった出来事を思い出す。
俯いたまま、私はぽつりと今まであった出来事を話し始めた。
信じてもらえるとか、そんなの今はどうでも良かった。
たとえこの記憶が夢だとしても、誰かにこの気持ちを吐き出したかった。
途中涙を流しながらも、過去に戻ったこと、サチのこと、自分の過去のこと、だんだんと自分が変われるようになったこと、全部を話した。
柏木さんはその間、ただ黙って聞いていてくれた。泣いてしまったときは、ゆっくりでいいよと言って頭を撫でてくれていた。
話が終わっても、私は顔を上げることなくぼんやりと机を見つめていた。
「でも、過去に戻ったことはちゃんと意味があったんじゃない?」
その言葉に顔を上げれば、柏木さんは真剣な眼差しでこちらを見つめていた。
そんな彼女に目を見開く。
「変だと…思わないんですか…。」
「え、なにが?」
「だって…過去に戻ったなんて可笑しいじゃないですか…。普通だったら…考えられない…。」
そう言えば、柏木さんはふっと笑った。その顔が誰かと重なって見えて。でもそれが誰なのかは思い出せなかった。
「確かに、私は体験したことないから実際にあるかなんて分からない。でもだからこそ、それがないのかも分からない。まぁ…実際にあったらいいなって思う。それに、沢村さんが嘘を言うようには思えないから。」
信じるよ、と彼女は言ってくれた。
その言葉に、既視感のようなものを覚えた。
あれ。この言葉…
「でも本当に、意味のあったことだと私は思うよ。」
「え…。」
「だって、こうして私に悩みを打ち明けられるようになった時点で、沢村さんは変われたんじゃないかな?」
変われた…?
「これからだってどんどん変われるよ。それに、無くなってしまったのは悔しいけど、またやり直せばいいんだよ。過去に戻って分かり合えたんだもん。それは今からだって遅くない。沢村さんが作った縁は、そう簡単に消えないと思う。」
『おねーさんが作った縁は消えないから。』
「っ」
サチは消える前、そう言っていた。
縁が消えない?それはどういうことなのだろう。
考え込む私に、柏木さんは笑った。
「何かあったら、また相談乗るから。沢村さんが出来ること、沢山あるんじゃないかな。恐れないで前に進んでみな。傷付いたって私が慰めるから、だから傷付いても大丈夫よ。」
「…っ…。…ありがとうございます…。」
「ふふ。表情が柔らかくなった。今度2人で飲みに行こう?」
じんわりと心が温かくなるのを感じながら、私は頷いた。
その時、コンコンとノックする音が聞こえて、柏木さんが返事をする。
「悪い柏木。来月入社する新入社員の件なんだが。」
そう言って顔を覗かせたのは課長で。柏木さんは大丈夫ですと言って立ち上がった。
「ごめんね。沢村さんはもう帰りな。お疲れ様。」
小声でそう呟いた柏木さんに、私も小さな声でお疲れ様ですと言って立ち上がった。
「すみません。確か、カワムラアキトくんですよね?」
その言葉に、私はピタッと動きを止めた。
今なんて…?
そう思って顔を上げれば、もう2人はそこにいなかった。
カワムラアキト。
それって…
「河村くん…?」
はっとなって、急いで2人を追い掛ける。
彼の名前は、河村明斗だ。
同姓同名かもしれない。けれどもし、縁というものが存在するのなら。
会議室を出れば、遠くで2人が立ち話をしているのが見えた。
真剣に話をしているのが分かって、割って話しに入ることは出来ずに諦めて歩き始める。
不意に思い出されたのは告白してくれた彼の姿で。思わず泣きそうになって俯く。
柏木さんと部長の横をお疲れ様ですと言って通りすぎ、自分の部署へ足を進める。
「ー分かりました。それにしても、幸華第一高校か…。弟と同じなんですよ。同級生だし。もしかしたら知ってるかもしれないです。」
その言葉に私は思わず立ち止まった。
幸華第一高校。
私と同じ高校。
じゃあ河村くんがここの会社に…。
「弟いるって言ってたな。名前はヨシミツだったか?カッコいい名前だよな。」
「そうなんです。武将の名前親が好きで。」
ヨシミツ。
かちりと、自分頭のなかで何かが繋がった。
振り返って、話をしている柏木さんの方へ歩み寄る。
「沢村さん?どうしたの?」
不思議そうに首を傾げる柏木さんの手元を見て、僅かな可能性を感じた。
柏木さんの笑顔が、言葉が、彼と一致した。
「柏木さん、旧姓なんですか?」
唐突な質問に、柏木さんはえ?!と声を上げながらも、タナカだけど…と口にした。
その事実に、自分の胸が高鳴るのを感じた。
「ありがとうございます。お疲れ様でした。」
頭を下げて、私はまた歩き始めた。
後ろから慌てたようにお疲れ様という柏木さんの声が聞こえて、笑みを溢す。
繋がっている。
みんなに、会えるかもしれない。
高鳴る胸をそのままに、私はそんなことを思っていた。