幸 –YUKI–
幸 〜Another Story〜
「なんで…なんで言ってくれなかったんだ!」

前髪の下で、俺は父親を睨み付けた。
父は自分で入れたお茶をすすりながら、こちらを見ることもなければ何も言葉を発することもなかった。
そんな父に苛立ちを覚え、机を思い切り叩く。

ガタンっ。
そんな音が聞こえてきたのと同時に、ふと目の前から湯呑みが飛んできて咄嗟にそれを避ける。

パリンと音を立てて割れた湯呑みから視線を父へ向ければ、父は目に涙を溜めながら俺を睨み付けていた。
こちらに近づいてくると、父は拳を握り締めてそれを俺の方に振りかざした。

「っ…」

鈍い痛みが頬に突き刺さる。
その反動で、気が付けば自分は尻餅をついていたようだった。

顔を上げれば、父はぼろぼろと涙を流しながら俺を見下ろしていた。

「話を聞かなかったのは…向き合おうとしなかったのはお前だろ?!!」

声をあげた父に、言葉を失った。

座り込む俺の横を通り過ぎて、父は寝室の方へ行ってしまった。

1人になったリビングで俺は呆然としていた。

暫くして父の言葉が脳裏を過る。

『向き合おうとしなかったのはお前だろ』

「…っ…」

後悔しかなかった。
他人を嫌い、家族を遠ざけ、口も聞かずに強く当たっていた自分が憎くてしょうがなかった。

唇を噛み締め、血が滲むくらいまでずっとそうしていた。

なんで。なんで。
なんで会話をしなかった。
話を聞かなかった。
なんで…。なんで…。

戻りたい。戻って謝りたい。話がしたい。
頼む…。頼むから…。

「過去に戻してくれ…。」

「ぼくならそれが出来るよ。」

「っ?!」

不意に聞こえた声に顔をあげる。
そこには小学校低学年位の男の子が立っていた。

「おにーさん、過去に戻りたいんでしょ?ぼくならそれができるよ?」

どこから入ったのか、見知らぬ少年はそう口にして笑った。

「…お前…どこから入った…?空の…友達か…?」

弟と同じくらいの背丈をした彼にそう言えば、少年は違うよと口を尖らせながらこちらに近づいてきた。

「ぼくはコウ。人を過去に戻せる力を持っている。おにーさん、過去に戻りたいんでしょ?ぼくならそれができる。どうかな?試してみない?」

ニコッと笑う少年を、俺は呆然と見つめる。

過去に戻せる?
そんなことが出来るわけ

「できるよ。」

「…っ…。」

「ぼくならできる。」

真剣な眼差しを向ける少年に、気づけば頷いていた。

信じるか信じないかなんて今はどうでもいい。
子供の遊びだとしても。
ほんの少しでも希望があるなら。
母さんに会えるのなら。
謝れるのなら。

「過去に…戻してくれ…。」

その言葉を聞くと、コウは頷いて笑った。

「交渉成立。では、今からおにーさんを過去に送る。」

そう言って、少年は右手を上にかざした。
暫くそれを見つめていれば、ふと少年の手から光が放たれる。

「は…?」

その姿を、俺は呆然と見つめていた。
暫くして、大きくなった光をコウはこちらに向けた。

眩しくて目を閉じる。
あたたかな光に包まれた瞬間に、俺は意識を手放していた。


「ん…。」

ゆっくりと瞼を上げると、そこには見慣れた天井。

夢…か…?

「夢じゃないよ。」

「っ!!!」

ばっと体を起こせば、先程の少年、コウがベッドの横に立っていた。

「無事に過去に戻したよ。今は…2××3年の5月5日だね。」

2××3年…?去年だ…。

「…行ってきたら?ちゃんと今は生きてるから。」

「っ」

その言葉に、俺は部屋を飛び出した。階段をかけ降り、リビングの扉を開ける。

「………。」

目を見開いた。
そこにはもう、この世にはいないはずの母が台所に立っていた。
こちらを見て、心配そうに俺を見つめている。

「…かあ…さん…」

呟いた声が震えていた。

「ごめん…。ごめん…。ごめん…。」

崩れるようにしゃがみこんで、壊れたように謝罪の言葉を繰り返す。

「今まで…ごめん…。」

不意にぎゅっと優しい温もりに包まれる感覚がした。すぐに母に抱き締められていることに気が付く。

あたたかい。
生きている。

その事実に、ずっと流すことが出来なかった涙が溢れた。

「……おかえり…陸…。」

もう聞くことも出来ないと思っていた優しい声に、ぼろぼろと涙が溢れていく。

「戻ってきてくれて…ありがとう…。」

そう口にした母に、俺は何度も頷いた。


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