その男『D』につき~初恋は独占欲を拗らせる~
『賢治のキスが今までで一番相性良かった。朱音はどう?』
『ベッドはちょっとしつこくない?体力あるよね、賢治』
吹っ切れているから話題にするのか、私に対する嫌味なのか。当初は判断できなかったけど、社内に広まった『中原は沢田から佐藤を寝取ったらしい』という噂で後者だと悟った。
寝取るも何も、賢治とは1度もしていなかった。
美香から語られる賢治の話が本当だと知るのが怖いというのが理由だった。
8階のフロアだけじゃなく、ビルに入っている水瀬ハウスや木島不動産の社員にまで噂が届いているようで、居心地が悪いどころではなかった。
それでも賢治は素知らぬ顔を続けたし、美香は上機嫌だった。
やはり私には見る目がないんだと改めて実感し、別れを告げて会社も辞めた。
そんな元職場に仕事とはいえ行くのは怖い。
しかし社会人としてのプライドと理性でなんとかビルに入った。
友藤さんが私の様子を気にしてくれているのは十分わかっていたけど、説明出来るほどの余裕は私にはなかった。
ビルには社員専用出入り口があったから正面エントランスを使うことはそうなかったけど、それでも懐かしさを覚える景色に胸が痛んだ。ここに2年以上通勤していたあの頃の私は、こんな気持ちで再びこのビルに入るだなんて思ってもみなかった。