先生がいてくれるなら③【完】
親父の書斎に通され、見るからに値の張りそうな大きなソファに座るように促された。
──この部屋に入るのはいつ以来だろう、と考える。
まだほんの幼い頃に入った記憶があるが、あれは何歳ぐらいだったか……。
使用人が紅茶を運んで来て、ティーカップに赤褐色の液体が注がれる。
使用人が頭を下げて退室したのを見届けると、俺は「それで、大事な話って何ですか?」と親父に問いかけた。
会う時間を取りはしたものの、家に持ち帰った仕事がまだ山ほど残っている。
出来ればさっさと終わらせて仕事の続きをやらなければ間に合わない。
「随分と仕事が忙しいようだね」
親父は俺の焦りとは裏腹に、のらりくらりと話し始めた。
「そんな話をするために俺を呼んだのなら、帰らせて貰います」
俺がそう告げてソファから腰を上げようとすると、親父は「いや、そうじゃない。とにかく座って欲しい」と慌ててそれを制した。
親父がこんなに慌てる姿は初めて見るかも知れない。
以前だったらそれを無視して帰ってしまっていたかも知れない、と思いながら、親父の珍しい姿に免じて、俺は再びソファに身を沈めた。
「──話というのは……孝哉、お前の母親のことだ」
親父の言う所の “母親” とは、一体どちらの人の事だろうか……。
俺には “母親” が二人いる、“産みの母親” と “育ての母親” が──。