冷徹ドクターに捨てられたはずが、赤ちゃんごと溺愛抱擁されています
 それまで口を挟まずに静かにしていたわたしが、急に声をあげたので母も姉もこちらを見ている。しかしそんなふたりの様子も気にならないほどわたしは動揺していた。

「君島先生、アメリカに行くの? 出張?」

「え……あ、うん。そういえば瑠衣は君島先生と顔見知りだったよね。出張というか、向こうの研究施設に呼ばれて、何年か向こうに行くみたいだよ。だから中村クリニックは中村総合病院の分院になって地域医療に――」

 姉がなにかしゃべっているけれど全然に耳に入ってこない。

 翔平……アメリカに行くの?

 わたしはなにも聞いていない。確かに最近忙しそうにしていてゆっくり話をする機会もなかった。けれどアメリカ行きのような大きな話が昨日今日に出てきたわけない。わたしに話をする機会はあったはずなのに、そんなことひと言も聞いてない。

 なんで……どうして……。

 わたしたちそんな浅い関係だったかな。特別な関係になって半年。言葉はなくてもお互いちゃんと通じ合ってるって思っていたのに。それってわたしの勘違いだったの?

 関係を言葉で明白にしていなかったことが、ここにきて悔やまれる。

 翔平に聞いてみる? ああ、でもそんな勇気ない。小心者の自分が顔を出し、フォークでサラダをつつきながら、翔平のことを悶々と考えてしまう。

「ごちそうさま」

 体調が悪いのも手伝ってオレンジだけ食べて、早々に食事を切り上げて立った。

「あれ、食べないの?」

 母が心配そうな顔をした。

「あ、うん。ちょっと具合悪い。でも心配しないで。明日休みだし今日頑張ればいいだけだから……」

 翔平のアメリカ行きの話を聞いてますます体調が思わしくない。家族の前にいると心配させてしまうのでわたしは支度を済ませようと洗面台に向かう。

 鏡を見ると青白い自分の顔がある。今日は少し濃いめのメイクにしようと思っていると、また吐き気が襲ってきた。

 これ……本当にやばいかもしれない。

 体調も悪いし、翔平の気持ちもわからないし……もう最悪!

 もやもやした気持ちを抱えて部屋に戻ってメイクに取り掛かる。こういうときこそ、ちゃんとお化粧して落ち着こう。

 いつもの手順でメイクをしていき、最後に口紅を塗ると気持ちがわずかに落ち着いた。鏡の中にいつも通りのわたしがあらわれてホッとする。

 とりあえず体調が悪くても、ショックなことがあっても働かなくては!
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