冷徹ドクターに捨てられたはずが、赤ちゃんごと溺愛抱擁されています
 もし彼にもう一度会うことがあれば、一番言いたかったことだ。もう二度と会うことはないと思っていたはずなのに、この三年間で何度もそう考えることがあった。

 頭を下げたわたしの目に入ったのは、テーブルの上に置いてあった翔平の手。軽く握っていたこぶしに力が入る。きっと行き場のない感情を抑えようとしているに違いない。

 仕方のないことだ。昔体の関係があった相手が勝手に子供を産んでいたのだから。

「どうして、俺に言わなかった? 連絡先だって変わってないし、何度か俺から連絡しただろ」
 翔平はアメリカに行った後も、わたしに連絡をくれていた。電話だったりメッセージだったり。でもそれに一切返事をしなかった。それは彼と繋がっていたら、この秘密がばれてしまうことを恐れたからだ。

 どう返せばいいのだろうか。なぜ言わなかったのか。そこには複雑な感情が入り混じってひと言では言い表せない。でもひとつだけ言えることがある。

「これは、わたしと悠翔のことだから」

 子供を産んで育てようと思ったことは、わたしひとりの決心だ。悠翔はわたしのお腹にやってきて巻き込まれてしまったけれど、その分幸せにしたいと強く思っている。自分の人生をささげられる存在だ。

 わたしはあのときの決断を後悔したくない。

 翔平の眉間に深いしわが入った。そしてじっと悲しみのにじんだ表情でわたしの方を見る。

 どれくらい黙ったままだっただろうか。翔平が掠れた声で言った。

「お前の人生に……お前の未来に、俺はいなかったってことか?」

 絞り出すような声。その声を聞いたときわたしは自分の選択に持っていた自信が揺らいだ。

 あのときわたしは翔平とわたし自身の未来のことを考えてベストな選択をした。だからこそ今日まで大変だったけれど、あの日の決心を後悔していないし幸せに暮らしてきた。

 でも……目の前にいる苦しそうな翔平の顔を見ているとそれが正解だったのかわからなくなってきた。

 あれほど固く決心したにもかかわらず、まさか翔平のひと言でこんなに自分の考えに自信がなくなるなんて。

 あのときわたしの未来には……翔平はいなかった?

 一度は混じりかけたふたりの運命の道。それをわたしが無理矢理、曲げてしまったのだろうか。

「それは……今さらわからないよ……」
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