冷徹ドクターに捨てられたはずが、赤ちゃんごと溺愛抱擁されています
「いや全然。逆に心地いい重みだった」

 翔平にとってはわが子にはじめて触れたのだ。感慨深かったのだろう。彼はこうやって徐々に父親になっていくつもりらしい。

 悠翔はわたしの腕の中でも目を覚まさずに眠り続けている。おそらく今日はもうこのまま朝まで眠ったままだ。

「気を付けて。やっぱり俺が運ぼうか?」

「すぐそこだよ。二階の角部屋」

 誰もいないアパートの部屋は明かりもついておらず真っ暗だ。翔平にそのまま部屋に連れていってもらってもよかったかもしれない。けれど、今の生活の状況を彼に知られるのが嫌だった。

こんなことで見栄を張っても仕方ないと思うけれど。

「これからのことは、また連絡する。連絡先は?」

 翔平はポケットからスマートフォンを取り出した。

「変わってない。翔平も変わってないなら教えてもらわなくても大丈夫」

 両手が塞がっているから、スマートフォンを取り出して連絡先の交換なんてできない。

 だから事実をそのまま伝えただけなのに、翔平の顔がニヤッと笑った。

「俺の連絡先、消してなかったんだな」

「あっ……」

 考えて答える暇なんてなかった。久しぶりに見たいじわるな翔平の顔はやっぱりカッコよくて余計に悔しくなる。

「……そういうことだから」

 これ以上墓穴を掘りたくないと思ったわたしは、一歩階段を上った。

「瑠衣」

 名前を呼ばれて振り向く。そこには今日何度も見た真剣な顔の翔平。

「なに?」

「瑠衣」

 彼はもう一度わたしの名前を呼んだ。そしてよく通る声で言った。

「悠翔を産んでくれて、ありがとう」

 思ってもみなかった彼の言葉に、胸がギュッと締め付けられた。言葉も出せず黙ったまま彼を見る。

「じゃあな」

 先に動き出したのは翔平だ。わたしは彼の後ろ姿を見てゆっくりと部屋に入った。鍵を開けて部屋に入る。扉を閉めて明かりをつけた瞬間、わたしは玄関に悠翔を抱いたまま座り込んだ。

「……っうう……っ」

 涙があふれて止まらない。ぼたぼたと悠翔に涙が落ちた。

 悠翔を産むことを誰にも許してもらうつもりなんてなかった。けれど翔平には悠翔の存在を告げていないことをどこか後ろめたく思っていたのも事実だ。三年前ならまだしも今の彼の状況などわたしはまったくわからないから、もし知らせたとしても彼が喜んでくれるとは限らない。
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