小説「グレイなる一族」
もう一方の「プーちゃん」は「プーちゃん」で私という由緒正しき誇り高き高貴な愛らしい容姿がまだ怖いらしく・・私はお化けのように扱われている。「ノリィー」は、「マイ」が自分の手から離れていると小休憩を取る為、基本的に私の側にはあまり来ない。

そうこうしている内に、「マイ」改め「まっつあん」の私の由緒正しき誇り高き高貴な頭から、「まっつあんウォーク」で私の背中周辺まで場所を動いてゆくと、彼女はお馬さんのように私にまたがり乗ろうとしている・・教えたいのはひとつ、私は「お馬さん」ではない。


私は「お馬さん」ではないので動き回らないでいると、「まっつあん」はロデオをしながら機嫌よくスマイルをあたりに振りまき最後には私のお腹の貫禄をまるでトランポリンのように飛び始めたのである。私がもしも「トランポリン」ならば「まっつあん」の全力を受け止めてそれを反発エネルギーに変えて、空高くまで飛べる力の原動力になってもあげよう。

しかし、私は「トランポリン」ではない・・なので、「まっつあん」の全力エネルギーはただの私に対する「キック」でしかないのだ。その事に「まっつあん」は多分後長い年月をかけて成長してくれれば「トランポリン」とお腹の貫禄との違いに気付いてもらえるのだろうが・・今の「まっつあん」に何を理解しろと言っても、「馬の耳に念仏」なのは当然なのだが、もう立派に成長して「トランポリン」と「お腹の貫禄」の違いがわかるであろう「セバスチャン」がこの「キック」のすべてのエンジンになっているのは残念でならない・・

私は、「セバスチャン」としばらく抱っこも一緒の就寝もしてやらないと心に決めた。

「まっつあん」の「高速16連続キック」にはいくら私という生き物でも耐える事が出来ず、この後少なからずメスの生き物の子供達とは少し距離を置くようになっていったのは言うまでもない。

I am GALY・・
私の名は、グレイ

「まっつあん」は「向日葵」のように夏の「グレイランド」明るく咲いた一輪の花ではあるのだが同時に「向日葵」の全力エネルギーはこれほどのパワーなのか・・と改めて人という生き物の子供が私と言う生き物の天敵であると再認識した私は由緒正しき誇り高き高貴な生き物の末裔である。
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