逆行令嬢は元婚約者の素顔を知る
婚約者のいない生活は、なんと素晴らしい日々なのだろう。
義務感で付き合わされていた行事にも出席しなくてていいし、何よりあの嫌みを聞かなくて済む。それだけで毎日が光り輝いているようだった。
偉人たちの名前を覚える歴史の授業の眠気だって耐えてみせる。
――そう思っていたのに。
王家が主催するお茶会に参加した帰り道、行く先を塞ぐように見覚えのある男の子が腕組みをして立っていた。見間違えるはずがない。元婚約者の姿に目を剥く。
(なんでここに!? 婚約は白紙になったはずよね!?)
あわてて後ろを振り返るが、誰もいない。さっきまで楽しく談笑していた令嬢たちはすでにいなかった。残っているのはエステリーゼ、ただひとり。
ジュードは大股で進み、ふと足を止める。手を伸ばせば届く距離で、硬直するエステリーゼをジッと見つめた。同年代より少し身長が高めの自分と同じ目線で、言葉が紡がれる。
「……やっと、見つけた。君の名前を教えてほしい」
「な、名乗るほどの者ではございません」
プレッシャーに押しつぶされそうになりながらも言葉を返すと、ふっと笑う気配がした。
記憶の中にいる彼は、いつも高圧的な態度だった。目が合うと口げんかばかりしていた自分を前にして、その雰囲気が和らいでいることに驚きを隠せない。
「君は当家の園遊会も来ていた。ということは子爵家以上の家柄の娘だろう。ヴァージル公爵家の人間と仲良くすることは、君の家にとってもプラスになることのはずだが?」
「…………」
「あの日、招待したリストの中で、挨拶を交わさなかった相手が一人だけいる」
「…………」
「エステリーゼ・ウォルトン。それが君の名前じゃないか?」
万事休す。エステリーゼは蚊の鳴くような声で、質問を投げかけた。
「……最初からご存じだったのですか?」
「いや。君の名前を知ったのは、君が帰った後だ。もともと、あの日は俺たちの顔合わせをする予定だった。そして、君と俺の婚約をお披露目する手筈だったと聞いた」
そうだ。本来ならドレスをけなすことから始まった言葉の応酬で険悪な雰囲気になり、文字通り、最悪の出会いをするはずだったのだ。
しかしながら、違う形で出会った自分たちの関係は、そこまで悪くなっていない。
(あれ……? そういえば、どうして今、罵ってこないんだろう?)
自分のことが見るのも嫌だったから、あんなに突っかかってきたはずなのに。
考えこむエステリーゼに、言葉を選ぶような間を置いて話が続く。
「もしかして……と考えていたが、君は婚約したくないから、あそこにいたのか?」
「……さようでございます」
今さら、嘘をついても仕方がない。
だが、ジュードはなおも食い下がった。
「それは、どうして?」
「……わたくしの口からは申し上げられません」
すがるような瞳を向けられて、エステリーゼは戸惑った。まさか本心を暴露するわけにはいかないだろう。今も混乱はしているが、言っていいことと悪いことの分別ぐらいはついている。
無言を貫いて目を伏せていると、変声期を終えていないジュードの高い声が聞こえた。
「エステリーゼ。俺は君に婚約を申し込みたい。だめだろうか?」
「…………」
「なぜ逃げる!? 俺の何がいけないというんだ」
全速力で迎えの馬車を探しながら、エステリーゼは混乱の極みに達していた。
(意味がわからない! 婚約は白紙になったじゃないの。わたくしはそれに満足しているのに、なんでまたこいつと婚約しないといけないの!?)
一向に覚めない夢は、さらに自分に悪夢を押しつけようというのか。
そんなの無慈悲すぎる。
義務感で付き合わされていた行事にも出席しなくてていいし、何よりあの嫌みを聞かなくて済む。それだけで毎日が光り輝いているようだった。
偉人たちの名前を覚える歴史の授業の眠気だって耐えてみせる。
――そう思っていたのに。
王家が主催するお茶会に参加した帰り道、行く先を塞ぐように見覚えのある男の子が腕組みをして立っていた。見間違えるはずがない。元婚約者の姿に目を剥く。
(なんでここに!? 婚約は白紙になったはずよね!?)
あわてて後ろを振り返るが、誰もいない。さっきまで楽しく談笑していた令嬢たちはすでにいなかった。残っているのはエステリーゼ、ただひとり。
ジュードは大股で進み、ふと足を止める。手を伸ばせば届く距離で、硬直するエステリーゼをジッと見つめた。同年代より少し身長が高めの自分と同じ目線で、言葉が紡がれる。
「……やっと、見つけた。君の名前を教えてほしい」
「な、名乗るほどの者ではございません」
プレッシャーに押しつぶされそうになりながらも言葉を返すと、ふっと笑う気配がした。
記憶の中にいる彼は、いつも高圧的な態度だった。目が合うと口げんかばかりしていた自分を前にして、その雰囲気が和らいでいることに驚きを隠せない。
「君は当家の園遊会も来ていた。ということは子爵家以上の家柄の娘だろう。ヴァージル公爵家の人間と仲良くすることは、君の家にとってもプラスになることのはずだが?」
「…………」
「あの日、招待したリストの中で、挨拶を交わさなかった相手が一人だけいる」
「…………」
「エステリーゼ・ウォルトン。それが君の名前じゃないか?」
万事休す。エステリーゼは蚊の鳴くような声で、質問を投げかけた。
「……最初からご存じだったのですか?」
「いや。君の名前を知ったのは、君が帰った後だ。もともと、あの日は俺たちの顔合わせをする予定だった。そして、君と俺の婚約をお披露目する手筈だったと聞いた」
そうだ。本来ならドレスをけなすことから始まった言葉の応酬で険悪な雰囲気になり、文字通り、最悪の出会いをするはずだったのだ。
しかしながら、違う形で出会った自分たちの関係は、そこまで悪くなっていない。
(あれ……? そういえば、どうして今、罵ってこないんだろう?)
自分のことが見るのも嫌だったから、あんなに突っかかってきたはずなのに。
考えこむエステリーゼに、言葉を選ぶような間を置いて話が続く。
「もしかして……と考えていたが、君は婚約したくないから、あそこにいたのか?」
「……さようでございます」
今さら、嘘をついても仕方がない。
だが、ジュードはなおも食い下がった。
「それは、どうして?」
「……わたくしの口からは申し上げられません」
すがるような瞳を向けられて、エステリーゼは戸惑った。まさか本心を暴露するわけにはいかないだろう。今も混乱はしているが、言っていいことと悪いことの分別ぐらいはついている。
無言を貫いて目を伏せていると、変声期を終えていないジュードの高い声が聞こえた。
「エステリーゼ。俺は君に婚約を申し込みたい。だめだろうか?」
「…………」
「なぜ逃げる!? 俺の何がいけないというんだ」
全速力で迎えの馬車を探しながら、エステリーゼは混乱の極みに達していた。
(意味がわからない! 婚約は白紙になったじゃないの。わたくしはそれに満足しているのに、なんでまたこいつと婚約しないといけないの!?)
一向に覚めない夢は、さらに自分に悪夢を押しつけようというのか。
そんなの無慈悲すぎる。