双生モラトリアム
「……春日さん?」
え、と声が聞こえた方に目を向けると、右隣のベランダから立花先生の顔が見えて驚いた。
「た、立花先生……?なぜここに……」
「なぜ、と言われても……つい最近、このアパートに引っ越してきたんですよ。忙しくて挨拶まわりはあと回しになってましたが……」
(あ、そう言えば最近ドアノブに挨拶状と粗品が入った袋が下げられてたっけ)
隣に誰かが引っ越してきたことは感じてたけど、時間が合わないからか住んでる人は見たこと無かった。でも、まさかそれが立花先生だったなんて。
「……そ、そうでしたか……すみません」
すぐに謝罪すると、いや、と立花先生も頬を掻いた。
「いえ……僕も、こうして覗きみたいなことしちゃってますし……というか、なぜ春日さんはそちらに?雪見酒でしょうか?」
確かに、あたたかい温泉に浸かりながら一杯やれば、幸せだろうな……なんて想像したくなる。
現実には膝掛けにくるまっただけの薄着で、裸足だからつま先から凍りそうだけど。
でも、今日初めて会った産婦人科の先生……ましてやアパートの隣人なら、うちの重い事情を話す訳にはいかない。ただの赤の他人なんだから。
「あ……はい。お酒は飲めませんから、雪見茶ですけど」
適当に合わせてやり過ごそうと思い、愛想笑いを浮かべて答えた。
「そっか……」
やっぱりそれだけで関心を失ったのか、立花先生は顔を引っ込めて引き戸を閉める音が響いた。
(……だよね。やっぱり……他人はそんなものだ)
私にかかわる人は、みんなこうだ。利害がなければわざわざ動かない。立花先生も、隣人と患者という関わりがなければ声すら掛けなかっただろうな。
悲しいけど、それが現実なんだ。