泣いてる君に恋した世界で、
望月の友人――椎名茉由は一個上の先輩で、当然望月も先輩だということが分かった上で、少し戸惑ってしまう部分がある。
それでも “同級生” ということには変わりはない。つまり呼び方なんていつも通りで良いという思考回路へ至った俺は「望月」と呼ぶ。
机に突っ伏した彼女の肩がぴくりと反応してみせるとゆっくり顔を上げた。まだほんのり赤みを帯びている頬と少し潤んだ瞳に少し鼓動が速まった。
不思議と時が止まったかのような見つめ合いが瞬き一つで刻み始めるとか弱い声が届いた。
「……引かないの?」
「引くってどうして」
「だって槙田くんを騙してたんだよ。もしかしたらこのまま言わないつもりでいたかもしれない。……ううん。言わないつもりでいたんだよ私」
言葉が弱々しくて、声までもだんだんと小さくなっていく彼女は再び顔を腕の中に埋めていく。
「最低だよね。いつかはちゃんと言わないといけないとは思ってたんだよ。茉由にも “隠してるより言っちゃった方が楽だよ” って言われてたし。私もそう思ってた。別に留年が恥ずかしいとかそんなんじゃなくてね……」
くぐもった声はより弱々しく聞こえて少し聞きにくい。それでも耳をしっかり傾け、言葉一つひとつを摘み取るように聞き入るのはもっと重要な何かを知りたいからだ。
言葉を詰まらせる彼女は一つ息を零す。ふとあまりにも静かな室内に気を取られた。その隙にか細い声が届いた。
けれどそれは耳の中に留まることなく消え去ってしまい、慌てて聞き返すと顔だけをこちらに向け「なんでもない」と小さく笑った。
なんだか少しほっとしたようにも見えた微笑みに「そっか」と零すとふわりと笑った。
辺りを見渡しながら「茉由いつの間にいなくなったんだね」と望月は言うからそれに同意すると予鈴が鳴った。
今日はやけに長く感じる昼休みだった。文化祭の出し物の話をしていたはずなのにいつの間にか望月の真実を知ることになったのが今日イチ予想外だ。
身の回りを片付けている彼女を盗み見する。
やっぱ先輩とは思えない。今更思えなんて言われても多分できないと思う。もう自分の中では “同級生の望月咲陽” になっているから。
望月は俺のことを「騙した」と思ってるみたいだけど、そんな事で呆れたり引くわけがない。誰だって言いたくないことはあるし。
望月の場合は全然大したことのない騙し方だと思う。そんなんで怒るやついるのだろうか。いるんだったらそいつは多分頭イカれてる。短気もいいとこだ。
不意に目が合う。ぎこちなく逸らされてしまう俺は根本的なことを言って美術室を後にした。
「………」
なぜだか教室へ向かう足が速まる。
それに連なって心臓までもがいつもより大きく脈打っている気がする。
なぜだろう。顔が熱いのは。
なぜだろう。笑ってしまいそうなくらい嬉しいのは。
なぜだろう。この高ぶっている心の音は。
『槙田くん、ありがとう』
そう言った望月の笑顔が頭から離れない。まるで夕陽のような。眩しくて、逸らしたいけれど見惚れてしまいそうな、そんなあたたかい笑顔が心の奥をくすぐってくれたせいだ。この胸の高鳴りは。
それでも分かっていることは、夕陽は未だ苦手だけれど、彼女の笑顔は好きだということ。
これからもずっとその表情を見ていきたい、なんて思ってることを本人に言ったらきっと赤い顔して「バカ!」とか言われそうだ。絶対言わないけど。
あ、そういえば望月のクラス何やるのか答え聞くの忘れてた。ま、いっか。明日にでもまた聞いてみよう。
多分いつになく表情が緩んでいたかもしれない。帰り際、俺に月影が言った。
「槙田くんなんかいい事あった?」と。
―――この先 “いい事” がどのくらい待ち受けているのだろう。そう思ってた。
そんな幸せそうな “これから” を打ち消すかのように咲陽の中でひっそりと潜んで蝕んでいた黒い影が成長していたことに誰もが気付かなかった結果、その日を境に咲陽は学校に来なくなった。
連絡も途絶えた。絶えることなく進行し続けるのは咲陽を蝕む病魔だった。本当の真実に気付けなかったのは最大の痛手だ。
もっと早く見つけていれば今でも傍で絵を描いて笑い合っていただろうか。そう現在でもふとした時に考えてしまうんだ。君が俺の隣にいる世界を。