泣いてる君に恋した世界で、
文化祭終了のチャイムを耳にすると、望月は残念そうに顔をしかめた。
俺は時間を確認した。嘘だと思いたかったから。
たしかに終了の時刻を迎えていた。
「早いな」
呟いた声はちゃんと彼女にもキャッチされてたようで、残念そうに頷いた。
《この後だよね、後夜祭》
「うん」
《そっかー。また見られないんだ〜》
そんな顔すんなよ、と言いたい。
俺まで悲しくなる。楽しみにしていたことを知ってるからこそ強く思う。
《槙田くんなんて顔してんの。そんなに私といたかったの》
ケタケタとからかう彼女は嬉しそうにみえた。
そうだと言いたい。
言えなかったのは、俺の中でなにかが溢れそうだと思ったからだ。
望月がいたらもっと楽しい文化祭になってた。ビデオ電話じゃなくて。隣でいつも通りの俺たちで校内を周って。花火を屋上で一緒に見たかった。
――ああ、今すぐ望月のところに行きたい。後夜祭より望月に会いたい。
気付かないふりをしつつ、でも隠しきれない思いが今にも溢れそうになる。
そこをグッと堪えながら言葉を落とす。
「――そろそろ行くかな」
《あ、またはぐらかした〜。 後夜祭、私の分まで楽しんできてね。感想聞かせてね》
バイバイと手を振るその姿に “切らないで” なんて女々しい感情がやっぱり芽生えるから俺は密かに決めた。
片手を上げると通話終了の文字が表れた。スマホ画面には名残惜しく眺める俺が映っている。
わりと冷静な心情に浮かんだ文字に自然と口元が緩んだ。
「あ!槙田くんいた〜!」
突然の声に体がびくついて、振り向くと月影がいた。なぜか息が上がっている。
「探したよ!どこ探してもいないんだもん」
「悪りぃ」
「っていう顔してないけどね〜。てか帰るの?」
これから後夜祭だけど、と続けながら視線は足元を見ていた。
そう言われてから今いる場所にようやく気づく。
確か電話終わったあと体育館に向かっていたはずで……なのにいま下駄箱にいる……。
「えっ、もしかして今気づいた感じ?」
「まぁそんなとこ」
「本当に帰っちゃうの?」
「うん」
即答するのは望月に意識が向いている証拠。後夜祭より望月に会いたい。触れたい。
冷静さを保っているはずなのに心は正直で、何か言いたそうな彼女に苛立ちを覚えた。
「ごめん、俺帰るわ」
脱いだ上履きをロッカーにしまい月影に背を向けた。
その時、後方に引っ張られる感覚に体がよろめいた。
「――でしょ?」
「え?」
静寂を裂くように発した彼女の言葉は聞き取れたようで、でも、できていなくて。聞き直してしまう。
まだ後ろを引っ張られているから向き合うことも、月影の顔を見ることもできない。分かるのは彼女は俯いていることだけだ。
「月影、離して。俺用事思い出したから――っおい、引っ張るなって」
「用事って?後夜祭より大事なの?」
「うん、大事。てかなんでそんなこと聞くわけ?」
「あ、いま、 “めんどくさ” とか思ったでしょ。じゃあ私も不思議に思うんだけど、その大事な用事って望月さんのところだよね?」
なんで、と言い出しそうになった。そんな俺を見て月影は続けた。
「知ってるよ。槙田くんのこと見てれば。顔に書いてあるから」
そう言って引っ張られていたブレザーの裾が緩んだ。
それを合図に下駄箱から靴を取り出し履き替える。声をかけるべきなのかそう考えるよりも先に足は校門へ向かっていた。
後ろからは何も聞こえなかった。いや、微かに聞こえた。「行かないで」と。それを聞かなかったことにしてしまう自分はこんなにも冷たい男だと初めて知った。
こうも簡単にクラスメイトを軽くあしらうのは初めてだった。親以外には。
その途端、忘れていた感情が湧き出た。絶対に忘れてはいけない感情。思い出したくない音。光景。全てがフラッシュバックして呼吸も足も速まった。
かき消したくて、無我夢中に走った。それでも消えてくれない残像は一生分の償いで、忘れていた天罰なのだろう。