恋獄の鎖
「できないのなら、できないでいいわ。このお話はなかったことに」

「い、いえ! お待ち下さい」

 鞄を閉め、手元に引き寄せようとするわたくしに男は慌てて腰を浮かせる。

 冷ややかに一瞥し、わたくしはわざと大きく息を吐いた。

「わたくしは同じことを何度も言うのは嫌いなの。二度は言わないわ。援助を受けたいのか受けたくないのか、はっきりと明言して下さらない?」

「どうぞご援助を、よろしくお願い致します」

 頭を下げる男の表情は苦しげだった。


 大貴族からの援助と看板女優。

 どちらを取るかなんて考えるまでもない。

 にも拘らず、男には苦渋の決断だったらしい。


 女優一人いなくなっただけで客足が大幅に遠ざかってしまうのなら、いずれは衰退する運命でしょうに。

 それをラドグリス家が、本来ならする必要のない援助するというのだ。一瞬たりとも迷う意味などないではないか。

「決断して下さったのならよろしくてよ」

 奥底から沸き上がる歓喜に唇が綻ぶ。


 最も美しく輝く、文字通りの舞台を壊してやったのだ。羽をもがれ、奈落の底に突き落とされた蝶は光の当たらぬ場所で弱々しく朽ちて行くしかない。


 これでミハエルも目を覚ます。

 わたくしはそう信じて疑わなかった。けれどもその結果、ミハエルの心はますます彼女に傾倒した。


 最悪の方向に転がった事態を眺め、裏切られた痛みだけではなく、もっと逼迫した痛みが心臓に襲い掛かって来たのもこの頃だ。

 もう自分の命の炎がすでに消えかかろうとしているのだといやでも悟る。

 散々、好きなように振る舞わせてもらったのだ。明日燃え尽きたとして悔いはない。


 でも、わたくしにもたった一つ心残りがある。


 一人娘であるティエラディアナに、何もしてやれていない。

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