恋獄の鎖
「分かっていたところで、わたくしにも矜持と意地がある。それだけのことよ」

 我ながら可愛げのない言葉だ。

 彼の愛した女性ならきっと……こんな時は弱々しく泣き崩れて可愛らしく縋るに違いない。

 でもわたくしが自らの矜持と意地を捨ててまで告げる言葉に、何の意味と価値があるだろう。わたくしでなくても言える言葉であれば、わたくしが言う必要はどこにもない。


 わたくしが欲しいと望めば、どんなものでも手に入った。

 だから、わたくしは知らなかったのだ。

 どんなに欲しくても決して手に入らないものがあるということを。

 そうしたものを手に入れる為にどうしたらいいのかを。

「――そうか。最後くらいは笑って別れを告げたかったけれど……残念だな」

 それ以上を話し合うこともなかった。まがりなりにも二十年以上の月日を夫婦として過ごしたのに、終わる時はあっけないものだ。

 あるいは普通の夫婦なら、まだ話すことは色々とあるのかもしれない。

 でも、わたくしたちは決して普通の夫婦と呼べる関係ではなかった。作り物の、夫婦に似た何かの終わり方には相応しい幕切れとも言えた。


 ミハエルの出て行った扉を眺め、それからブレスレットにそっと指先を這わせる。

 彼が欲しかったであろう言葉をわたくしが言えなかったように、わたくしが言って欲しかった言葉も、最後まで言ってはもらえなかった。


 わたくしが身につけているブレスレットは初めて出会った時に自分が直したものだということを、覚えてはいないのだろう。それどころか気がついているのかすら疑わしい。

 初めて出会った日のことだとは言え、そんな些細な出来事を覚えているのはあの時すでに心を奪われていた自分だけなのだと今さら思い知った。


 ミハエルから愛を囁かれる日など来ないことは最初から知っていた。

 もう終わりだと別れを告げられても一粒の涙すらこぼれないのは、手に入れてはいないからだ。

 手に入れていないものを、失うことは決してない。


 それでもせめてブレスレットには気がついていて欲しかった。

 らしからぬ少女めいた淡い幻想も、しかしたった今、ミハエルの手で粉々に砕かれた。

 あの日の夜会でミハエルが作り上げた鎖はわたくしの右手首に絡みつき、今もなお縛り続けるというのに。

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