蛇と桜と朱華色の恋
星河の問いに悔しそうに拳を握りしめ、夜澄は水鏡の向こうへ告げる。
「危害を与えられてはいないだろうが、逆さ斎のちからをのっとった幽鬼だ、また記憶封じをしているかもしれない」
夜澄が未晩に施された記憶を元に戻したことで、朱華は現実を受け入れられず未晩の胸へ飛び込んで行ったのだ。竜頭はあれは幻術だと言っているが、夜澄はそうは思えない。
「そんな」
せっかく取り戻した記憶を、幽鬼にふたたび封じられてしまうなんて。悲痛な面持ちの雨鷺の顔が、水面に映る。
「水兎。落ち着いて」
青ざめた表情の雨鷺に星河が手を握っている。ふたりは夜澄が見ていることに動じることなく、互いに身体を支え合っている。その前世を越えた絆の強さに、夜澄は心惹かれる。
朱華が支えに求めているのは、誰なのだろう。それが、自分ならいいと夜澄は強く願う。そのためにも早く、朱華を取り戻したい。雲桜を滅ぼした幽鬼に、彼女を渡したくない。
焦ってばかりの夜澄に、水鏡越しに、竜頭の低い声が届く。
「心配するな。逆さ斎と幽鬼は別物だ。逆さ斎の神術を幽鬼が完璧に真似ることは不可能だ」
だが、幽鬼と対峙した夜澄は彼のちからを目の当たりにしている。いくら別物だからといって、安心できるわけがない。
「彼女の記憶がふたたび弄られてしまったらどうする!」
「何度でも口づけをしてお前が戻してやればよい」
当然のように竜頭は応え、莫迦らしいと毒づく。
「……ほんと人間っぽくなったな。もし、裏緋寒を自分の神嫁にしたいのなら、いったん本性に戻れ。そうすれば俺が穴を開けてやる」
あっさりと提案する竜頭に、夜澄は呆気にとられた表情で両目を白黒させる。
「――竜頭」
「なんだ?」
「そういう大事なことはもっと早く言え!」
「気づかない方が悪い」
ふん、と竜頭は鼻を鳴らし、星河の手を摑む。そして、土地神の加護を十二分に受けた守人と元代理神たちに向け、水術を放つ。
「颯月、里桜、大樹。そのまま持ちこたえろ」
竜糸の空に風が走り、鈍色の雲が竜神の気によって押し流されていく。払っても払っても湧き出る瘴気の壁を壊すため、竜頭は風術で瘴気が薄れた場所に、一気に雨を降らせ、穴を穿つための神謡を詠唱する。
風によって舞い上がった菊桜の花びらとともに、竜神が覚醒後、最初の雨を、浄化の雨を局地的に降らせはじめる。星河と雨鷺は彼を支えるように両脇に立ち、恵みの雨に感謝を捧げるように、彼らの無事を祈る。
「ゆけ、雷光神」
竜頭の声とともに、夜澄の身体がちいさくなった。雷を司る土地神の本性である純白の蛇に変化すると、夜澄は雨によってひらいた瘴気の壁穴から、するりと入り込む――……