蛇と桜と朱華色の恋
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「――や、ず、み」
別の男の名を呼び意識を失った朱華に応えるように、瘴気の壁が薄れてしまった。どこかに穴が開いたかもしれない。未晩は慌てて朱華を抱きかかえ、裏庭へ急ぐ。
外は土砂降りの雨が降っている。復活した竜神が浄化の雨を施したのだろう。だが、闇鬼を消滅させる雨は、幽鬼には通用しない。せいぜい未晩が張った瘴気の壁を崩す程度だろう。
「神殿に出向く手間が省けたな」
どうせ彼らを始末しなくては朱華を自分の妻神とすることはできないのだ。竜頭を殺し、代理神と桜月夜を葬り、竜糸を我が物にし、鬼神としての器量を至高神に認めさせ、花神の加護を返してもらってようやく朱華は自分だけの朱華になるのだから。
神々の契約はけして破られない。それは、朱華がどんな状況であっても、契りを結んでさえいなければ問題ないということ。記憶に支障があろうが、幽鬼を憎んでいようがいまいが至高神はたいして気にも留めないだろう。小うるさい土地神と違って至高神は幽鬼のように長い生命を司る孤高の女神だから。
浄化の雨はまだつづいている。壁の厚さがすこし薄くなったのか、外部からの攻撃によって建物が軋みはじめた。一か所でも崩れはじめれば、彼らは雪崩れ込んでくるはずだ。
「朱華……お前はオレのものだ」
裏庭に一本だけ佇む白い枝垂れ桜の下で、降りつづける雨を気にすることなくぐったりしたままの朱華を抱き上げ、未晩は密やかに言霊を紡ぐ。
「――神に逆らいし逆さ斎が命ずる。裏緋寒の乙女に花嫁装束を」
すると桜の花枝がしゅるしゅると伸び、朱華の身体へ巻きついていく。巨木の幹へ縛りつけるように両手両足を拡げられ、雨に濡れそぼり身体の線を際立たせた朝衣の裾元から幽鬼に接吻の痕を刻まれた無防備な肌が露出する。
未晩の声に賛同するように芥子花も蕾を開き、甘くて噎せ返るほどの芳香とともに闇のように濃い暗色の花を咲かせて朱華の周囲を染め上げていく。
美しくも不気味な花園に、白い八重桜が咲き誇る枝を身体中に巻きつけ幹に磔となった朱華は、雨が運ぶ芥子の香りに鼻をひくつかせ、瞼の上へ舞い降りた白桜の花びらで意識を覚醒させる。
「!」
朱華が身じろぎするのを拒むように桜の枝がしゅるりと動き、ふたたび数え切れないほどの花びらが宙を舞う。その幻想的な光景に未晩は息をのむ。
「おはよう朱華。すこし苦しいかもしれないけれど、そこで待っていておくれ。すぐに彼らをやっつけてやるからね」