蛇と桜と朱華色の恋

 幹を伝っていた白い蛇は、朱華の言葉に強く反応して人型へと姿を転じる。
 それは、黄金に泳ぐ琥珀色の双眸と、どこまでも清純なまじりっけのない漆黒の黒髪と、神殿の人間が着用する浄衣を身にまとった男性の姿。

「あっ」

 喉元まででかかっている彼の名に、朱華は困惑する。自分のことをふたつ名で呼び、かつて、やさしくも残酷な接吻をしてくれた、滅んだ『雷』の土地神でありながら人間に身をやつして竜神に仕えつづけた、澄み渡る夜のように玲瓏なひと。
 枝垂れ桜の枝に包まれ苦しそうに息をする朱華の前に、その青年が跪く。
 が、蛇神が人型に姿を変じた瞬間を狙って、鋭い氷が針のように彼の背中を貫いていく。

「ぐっ……!」

 未晩は朱華の隣で黙ってこの状況を見つめていたはず。だというのになぜ、背後から攻撃ができたのだろう。夜澄は不覚だと血をごぽりと吐き出し、芥子の花のうえへと倒れこむ。

「そうはさせないよ?」

 ぴくりともしない夜澄の身体を蹴飛ばし、幽鬼はニタリと微笑みを浮かべる。

「まずはお前から葬り去ってやろう。愛する女の前で逝けることを喜ぶがよい」

 どくどくと血を流しつづける夜澄を踏みつけ、幽鬼は逆さ斎の呪文を口にする。


「――神に逆らいし逆さ斎が命ずる。邪悪なる蛇神に永久(とこしえ)のの暗闇を!」


 その瞬間、動きを封じられていた朱華の身体がはじけ飛ぶ。


「Kotanutur haushitaiki mattek ampap〈裂けよ、大地よ、破れよ、大地〉!」


 桜の木目がけて放たれた雷撃だった。そして夜澄は朱華が地上へ降り立ったのを見送ると、満足そうに瞳を閉じる。朱華は夜澄の前へ立ち、逆さ斎の神殺しの忌術を発した未晩に向けて、喉が枯れんばかりに絶叫する。



「だめぇええええ!」


 ――このひとは、あたしが護る!
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