蛇と桜と朱華色の恋
「そんな! じゃあ、朱華はどうなっちゃうのよ」
驚いたように里桜が声をあげると、朱華が困ったように首を傾げる。竜神が姿を現したからだろうか、曇っていた数日の記憶が、鮮やかに思い出されている。朱華はきょとんとした表情で里桜に言葉をかける。
「九重? あたしのこと、嫌いじゃないの?」
「そりゃ、憎いわよ! だけどそれとこれとは話が別よ! なんでこうもあっさり穴に墜落しそうになっているのよ」
「あたしだってすきで穴から落ちようとしているわけじゃないよ……」
弱々しく応える朱華に、あーもうっ、と里桜が近づく。ギョッとする竜頭を無視して里桜は朱華がしがみつく桜の枝に向け、久方ぶりの『雲』の呪文を口にする。いまにも折れそうだった枝は太く丈夫なものとなり、朱華もその変化に、ほぅと息をつく。
「言っとくけど、あなたがどさくさにまぎれて唱えた神術で、あたくしの逆さ斎のちからまで奪われちゃったんだからね! それでこのまま穴のなかに消えていくなんて言ったら怒るわよ?」
「九重……」
「これで安心だと思うなよ」
渦を巻くような轟音が地底から響き渡る。朱華の腕を摑んだまま、黙っていた未晩がニタリと嘲笑を浮かべる。
「未晩」
「逆さ斎のちからを失おうが、オレは神に屈することのない幽鬼の王だ。地獄へ踏み落とされようが、神嫁となる朱華を共に連れていけるのなら、悪くない」
そして、一言、命じる。
「神が穴に近づくことが叶わぬのなら、好都合だ。な、涯」
ミギワと呼ばれて、ひとりの少年がビクリと震える。
「朱華が右腕で抱え込んでいる桜の枝を、破壊せよ」
「なっ」
信じられないと夜澄と里桜が顔を見合わせると、ふるふると震えながら、涯という名で縛られた颯月が、『風』の神術で炎の剣を編み出していた。
「颯月……?」
「――どうして、その名でボクを縛ろうとするんだ。お前にとってボクは、いてもいなくても変わらないその程度のなりそこないなのに」
悔しそうに、颯月が剣の柄に手をかけ、降りつづく雨に対抗するように炎を燃やす。
「いつからその口は、オレに対する文句をだすようになったんだ? ま、身体の方は抗おうにも抗えないみたいだがな」
「くっ……」
大穴の方へ足を向け、ゆっくりと颯月の身体は進んでいく。幽鬼に名を縛られ、身体を操られていることに気づいた里桜は、彼を引きとめるため、自らも『雨』の呪文を唱え、『風』の炎に対抗する長剣を地上へ召喚し、彼の足もとへ放り投げた。