蛇と桜と朱華色の恋


 ずっと、曖昧だった夢の最後の言葉が、朱華の耳元に囁かれていた。

「茜桜……?」

 目の前では怒りに身体を震わせた未晩が、朱華の肩を強く抱いたまま、神術で桜月夜へ攻撃をつづけている。未晩の身体は闇鬼に乗っ取られてしまったのだろうか? けれど、桜月夜の三人の守人は未晩からの攻撃を防ぐだけで、攻撃することがない。未晩とともに朱華まで害する危険があるからだろうか。
 朱華の囁きに、未晩が顔を強張らせる。

「まさか、記憶が……?」

 未晩の言葉に、朱華は無言で首を振る。何かが違う。朱華は茜桜などという男といままでに逢ったこともなければ名前すら知らなかった。つい十日前から夢にでてきて意味不明なことを朱華に語りつづけていた不思議なひと。いきなり封印がどうのこうのなどと言われても理解できるわけがない。
 そんな朱華に安心したのか、未晩がふっと柔らかな笑みを見せる。ふだんと同じ、ふたりきりで暮らしているときの、穏やかな微笑。
 だが、そこを夜澄は見逃さなかった。

「Asusun asusun tussay matu〈綱の輪を引け我が竜蛇!〉」

 朱華の肩を抱えていた未晩の腕が、地中から現れた湾曲した蛇のような細長いものによって引き離され、朱華の身体が宙に浮く。悲鳴をあげる間もなく朱華の身体は夜澄に奪われていた。
 唖然とする未晩を颯月が瞬時に昏倒させ、星河がほうと息をつく。

「神無の逆さ斎。記憶を元に戻さぬのなら、俺たちが彼女の記憶を取り戻すまでのことだ。しばらくそこで眠っていろ」

 あっけない幕切れだった。だが、桜月夜の守人に刃向いつづけた未晩の真意はわからないままだ。
 夜澄は地面に倒れ伏した銀髪の逆さ斎から視線をそらし、腕に抱えた少女の震える身体を優しく包みなおす。

「……裏緋寒の乙女は竜頭さまに捧げる神嫁。手荒な真似をして申し訳ない」

 菫色の瞳に、黄金色にちかい琥珀色の夜澄の双眸が映る。さっきまでのつっけんどんな口調とは裏腹の、敬うような言葉遣いに、朱華は目をまるくする。
 夢のなかで茜桜が告げた、裏緋寒の乙女という言葉。
 そして、ルヤンペアッテの眠れる竜とは、すなわち――竜糸の地で眠りつづける、土地神、竜神さまの、こと。

「あたしを、神殿に連れていくの?」

 あの夢は予言だったのかもしれない。十七歳になる朱華に降りかかるであろう運命と向き合うための。
 朱華の問いに、颯月がうんと頷く。

「そうだよ。裏緋寒の乙女。キミは里桜さまに乞われて竜糸の眠れる竜の、竜神の花嫁になるのさ」


   * * *


 十七歳になったら結婚しよう。ほんとうの家族になろう。
 未晩の言葉に頬を赤くしながら頷いていたはずなのに。
 あたしの記憶が、師匠に改竄されていた……?

「じゃあ、結婚の約束は?」

 いまの朱華は、誰を、何を、信じればいいのか、わからない。
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