蛇と桜と朱華色の恋
ほんのすこし負の感情に傾いただけで、闇鬼に憑かれて自分を殺そうとした巫女を思い出し、朱華は身震いする。それを怯えと捉えたのか、夜澄は子どもをあやすようにそっと、彼女の玉虫色の髪を梳きはじめる。
「もう、ひとりにはしない。お前が竜頭の花嫁として迎えられるそのときまで、桜月夜の総代として、俺が護ってやる」
偉そうな口調とは裏腹の、やさしい手つきに、朱華はこそばゆい気持ちに陥る。
琥珀色の視線が絡む。どうしてだろう。朝、出逢ったときの無愛想さはそこにはなく、日没が近づくいまとなっては、親しみさえ垣間見える。
ぽかりとあいた天窓から注ぐ夕陽が、朱華と夜澄を淡い黄金色に染め上げていく。
夜澄。三人の桜月夜のなかでいちばん古くから竜神に仕えている不思議な男性。朱華はまだ、彼のことを何も知らない。
けれど、自分はずっと一緒にいると信じていた未晩のことすら、何も知らずにいたのだ。
そして、自分が何者であるかも。
神術をひととおり学んだ朱華からすれば、夜澄に護ってもらうなど、言われる筋合いはない。
それでも、彼の言葉に、心が軽くなる。
「……三日間だけお願い」
朱華は優雅に頭を垂れ、懇願する。
三日後、朱華は十七歳を迎える。
それは折しも暦が早花月から花残月へと移り変わったはじめの日。この国に棲まうすべての神々が新たな季節を招くために一斉に動き出すといわれている日。
夜澄は朱華の誕生日がその日であることを知り、心得たとばかりに頷く。
「朔日までか」
「うん。至高神が預かられているあたしのちからが、戻ってくるまででいいから」
雲桜の花神、茜桜が朱華に遺したという『雲』の加護。『天』をも欺く強大なちからを幼き少女の身に野放しにすることを危惧した至高神が、そのちからを預かり、十年の封印を施した。
それはカイムの地を統べる神々なら誰もが知っているという事実。そしてそれに準ずる一部の神職者や、朱華を保護する立場にあった逆さ斎の未晩もまた、朱華が土地神の花嫁候補、裏緋寒であることを知っていた。
未晩が朱華の記憶を操作したのは、もしかしたら、自分にこの先の運命を知らせたくなかったからなのかもしれない。土地神の花嫁になることしか道のない、故郷を失った幼い少女があまりにも哀れだったから……
けれど朱華はもう、六歳の幼子ではない。