蛇と桜と朱華色の恋
自己紹介されたとき、彼はレラ・ノイミと言っていた。たしか、カイムの古語で風祭を意味していたはずだ。
「ええ。瘴気を払うことのできる『風』は、古くから幽鬼たちに警戒されているんです。とはいえ、払うだけで幽鬼を葬り去ることができないため風祭をのぞいてすべて滅んでしまいましたが……」
「そういえば、土地神さまに後継がいないとその集落は滅ぶ、ってはなしもあったような……それも裏緋寒に繋がるの?」
「そのとおり。よくわかりましたね」
偉い偉いとあたまを撫でられ、朱華はなんだかくすぐったい気持ちになる。星河は朱華を妹や娘のようにみているきらいがある。夜澄や颯月と違って、ひとり別の視点から裏緋寒の乙女である自分を見守っている、そんな感じ……
けれど朱華はそんな風にされることに慣れていない。父代わり、兄代わりだった未晩は、もっと朱華を自分の所有物のように扱っていたから。
星河はそこに立っているだけの柳の木のようだ。糸のように垂れ下がる葉をゆらゆら靡かせながら、焦点の定まらない朱華の心を見透かし、朱華の言おうとしていることを汲みとって、必要になったら支えてくれる。そんな、強い意志を隠した柳の木。
朱華は深呼吸をして、挑むように星河を見上げる。
「星河。あたしがここにいる理由を、あなたは知っている?」
「すべては知りませんけれど、だいたいのことでしたら、さきほどの里桜さまとの会話で推測可能です」
「あたしは記憶がごちゃごちゃになっているみたい。師匠の甘い言葉だけを信じていればよかったのかな。そうすれば、九重が苦しむようなことは起こらなかったのに」
九重。朱華は里桜のことを無意識のうちに呼んでいる。星河はあえて訂正を入れず、黙って彼女の言葉を待つ。
「茜桜がね。あたしにちからを解放する、って夢に現れたの。そのときはまだ、自分が竜糸の竜神さまによって『雨』の加護を与えてくれたとばかり思っていたから、ルヤンペアッテで生きてきたと思っていたの……まさか師匠が、あたしの記憶を改竄したなんて、思いたくなかったの。だけど、ほんとうなんだね」
ねぇ、どうすればこの記憶は元に戻るのかな?
悔しそうに朱華は星河に言い募る。自分にはどうにもできない星河は、逃げるように早口で応える。
「わたしは生まれながらに前世の記憶を持っていますが、操ったり忘れたりすることはできません。それに、塗り替えられた記憶を元に戻すのは同じ術者か、神にしかできないことです。大樹さまがいないいま、代理神であられる里桜さまでも記憶を元に戻すことはできません。大樹さまを連れ戻すか、竜頭さまを起こすか、逆さ斎に術を解いてもらうしか……」