蛇と桜と朱華色の恋

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「ねえ夜澄」
「なんだ?」
「くっつきすぎじゃない?」

 星河が立ち去ったのを見送った夜澄は、朱華の首根っこを摑んでいた手を下ろし、自分の腕のなかへ彼女を招き入れた。真っ黒な外套を着た彼は猩々緋の刺繍が刻まれた月白の袿を着た朱華をすっぽりと覆い尽くすように、両腕で彼女を閉じ込めている。
 まるでこの腕から逃がさないとでも言いたそうな、彼の強気な態度に、朱華は何も言えずにいる。

「いやか?」
「……ううん。よく、師匠もそうやって、あたしを温めてくれたから」
「ふうん」

 朱華の口から師匠、未晩のことがでてくると、夜澄は急に不機嫌な顔で突き放すように口を開く。

「あの男のこと、何も知らなかったくせに」
「夜澄だって、知らないであたしのところに来たくせに」

 両頬を膨らまして反論する朱華に、夜澄は勝ち誇ったように言い返す。

「お前のことを俺が知っているぶんには、問題ないだろう?」
「あたし?」
「桜月夜の総代は天神が定めた裏緋寒を一目見ただけで判別する能力がある。それに」

 意地悪そうな笑みを見せながら、夜澄は朱華の両頬に手をのばし、輪郭を確かめるようにゆっくりと指の腹を使って辿っていく。くすぐったいよと抵抗を見せる朱華を無視して、夜澄はつづける。

「お前は姿を隠していた俺たちの気配にすぐ気づいた。ちからを半分以上封じられているにしては、優れた術者に育ったと思うぜ」
「……まるで昔のあたしを知っているみたいな言い方ね」
「それはどうかな」

 朱華が挑発するように夜澄を見上げても、彼は素知らぬ顔で朱華の頬を撫でつづけている。

「質問を変えるわ。あなたは、あたしがここにいる理由を知っている?」
「星河と同じ質問か。そりゃ、お前が天神に目をつけられた裏緋寒だから、だろ?」
「それはあたしでもわかることじゃない。そうじゃなくて、夜澄が知っていることを知りたいの」
「塗り替えられた記憶を取り戻したいのか」

 そのひとことで、ぴん、と夜の空気が張り詰めた錯覚に陥る。朱華はそれでも恐れることなく夜澄の琥珀色の瞳に自分の菫色の瞳をぶつけ、強く首肯する。

「星河は術を解くのは術をかけた師匠か、神にしかできないって言っていたけど……九重みたいにあたしの幼いころのことを知る人間がいるのなら、たとえ拒絶されても向き合って、すこしでも取り戻していきたいの。竜神さまが眠りにつく前から生きている夜澄なら、雲桜の滅亡のことも知っているんでしょう? 教えてよ」

「……茜桜が幽鬼に殺されたときのことだぞ」

 朱華に乞われた夜澄は、仕方なく手を下ろし、ぽつりと呟く。

「あの逆さ斎がお前のために記憶を塗り替えてくれたのだと知っても?」

 たとえその記憶が、苦しみと悲しみと絶望しかもたらさないと知っても?

「うん」

 朱華に確認した夜澄は、一瞬だけ微笑を浮かべる。それは、かなしそうな、笑み。
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