蛇と桜と朱華色の恋

 朱華は黙り込んだまま、帰蝶が告げるひとことひとことを耳の奥へ、心のなかへ、刻みつけていく。意味など理解できるわけがない。けれど忘れてはいけない、大事なことだと朱華は瞬間的に感じ取る。

「それから、神々にあれこれ言われても、最後は自分がやりたいようにすること!」

 いいわね、と悪戯っぽく笑みを見せる帰蝶へ、朱華も頷きながら微笑み返す。

「うん!」

 朱華の笑う顔を見ることが叶った帰蝶は、嬉しそうに、彼女の額へ接吻を送る。

「……Chiepunkinere〈守護を〉」

 口づけとともに落ちたのは、古の民が戦地へ赴く際に唱えたという、祈りの言葉。
 そして帰蝶は、虹色の蝶へ帰った。主である茜桜を探しに、ひらりと舞いあがっていく。

 ――もう言葉を交わすことは叶わないでしょう。わたしも、茜桜も。

 花残月になれば、茜桜のちからが朱華の身体へ戻される。時の訪れによって封印が解かれしとき、真の意味で茜桜と彼の御遣いとなった帰蝶は、消滅するのだ。
 朱華は知らないうちに零していた涙を袖で拭って、桜の下で、跪く――……


   * * *


「竜神が動きましたか」

 きぃきぃと騒ぐ蝙蝠を指で摘まんで、未晩はつまらなそうに呟く。
 朱華は強固な『雨』の結界に護られていていまの状況ではまともに手がだせない。だが、竜神が動きを見せたというのなら、話は別だ。

「朱華を花嫁に娶る前に、取り戻さなくてはいけませんね」
「急ぐのかい?」

 軽い口調の声が、蝙蝠を通じて流れてくる。

「できれば。至高神が動く前に。朱華は誰にも渡さない」
「竜神の花嫁にするつもりはないと」
「むしろ竜神は邪魔です。寝起きを襲ってとっとと消したいくらいです」

 きっぱりと告げる未晩に、声は黙り込む。

(みぎわ)。幽鬼であるあなたが、なぜ集落を滅ぼさずに潜んでいるのです。あなたほどのちからがあるのなら、すぐにでも壊すことができるでしょうに」
「その名はすきじゃない。いまは、別の名がある」
「呼びたくもない。僕にとってあなたは涯という名の幽鬼。それだけです」
「……ならば、未晩が動けばよい」
「あなたはまだ動かないのですか」
「未晩が施した表緋寒の呪詛次第で、動いてやってもいいかな」

 ――まずは、お手並み拝見といこうじゃないか。

 どこか楽しそうな涯の声に、未晩は苛立ちを隠せない。手にしていた蝙蝠の首を強引にへし折って、その場へぽいと、投げ捨てた。
 首の曲がった蝙蝠は、もう動かない。
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