蛇と桜と朱華色の恋
竜頭と朱華に語りかける声の主は、やはり夜澄のようだ。どうやら竜頭がこれから朱華の記憶を戻すことに異を唱えているらしい。
『俺はいま、竜糸の桜月夜の守人として、眠りこけていたあんたに代わって竜糸を護る人間どもを見てやっていた。代理神などというふざけた形態に、天神のちょっかい、おまけに幽鬼に狙われるわでこっちは休む暇もなかったんだぞ』
「そりゃ大義であった。ずいぶん人間くさくなりおったな」
『あんたのせいだ』
「それで、解呪の方法も忘れたふりをしておったのか。裏緋寒を苦しめたくなかったから」
「え? あたし?」
『……おしゃべりが過ぎるぞ、小さき竜神』
夜澄の押し殺したような声が、湯殿に反響する。
その瞬間、黄金色の瞳が、眩しそうに眇められた。
「裏緋寒よ。また逢おう」
――それまでに、記憶を戻すがよい。
「え、竜神さま? 記憶を戻すって、どうやって……?」
瞼を閉じた竜頭が、瞳を見開くと、そこには琥珀色の、夜澄が立っている。
一瞬で元に戻った夜澄に、朱華はほぉと感嘆の息を吐く。
そのまま、朱華は火照った身体をふらつかせ、盛大な音を立てて湯船に倒れこむ。
「――のぼせたか。竜頭の莫迦め」
記憶を戻せと言い残して姿を消した竜神に毒づきながら、夜澄は朱華を抱えあげ、湯殿の外へ、渋々向かう。
外で待機していた星河と雨鷺に胡乱な視線を投げかけられても、ふたりに朱華を預けた夜澄は涼しい顔で逃げ出した。