蛇と桜と朱華色の恋

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「見つけた!」

 夜澄は竜神が眠る湖の前で、夕陽によって橙色に染め上げられていた風に揺れる水面を眺めていた。周囲に植えられている菊桜の淡紅色の蕾が、いまにも零れ落ちそうなおおきさに膨らんでいる。昨日の夜にはわからなかったが、この湖の周辺には、十重二十重の菊桜が植えられているようだ。
 湯帷子のままだった朱華は雨鷺に素早く着替えさせられ、いまは動きやすい薄萌黄色の湯巻きに、やさしい色合いの撫子色の袿を合わせている。着替えが途中だと叫ぶ雨鷺の制止を振り切って室を飛び出して行ったため、沓は履いていない。
 素足のまま湖まで駆けてきた朱華に、夜澄は呆れた顔で振り返る。

「……別に俺は逃げやしないぞ?」
「いいの。あたしが早く夜澄に逢いたかっただけだから」

 ぜいぜいと息を切らしながら、朱華は夜澄の隣に立って、波打つ湖面に視線を注ぐ。
 ――この湖の底に、竜神さまの本体が眠っている。

「お前だけで、竜頭を呼び寄せるのは無理だ。里桜さまがいないと」

 朱華を宥めるように、夜澄は彼女の肩を抱く。その手を振り払って、朱華は夜澄の言葉を遮る。

「だからその前に、記憶を戻してほしいの。雷神(・・)さま」
「――竜頭か」

 朱華が自分の正体に気づくのは時間の問題だと思っていた。竜頭が眠る前から彼のことを知っているという情報から、御遣いとでも理解していたのだろう。だからいままで、彼女は深いことを知ろうとしなかった。朱華にとって桜月夜の夜澄は、竜神の花嫁になるまでの護衛でしかなかったから。
 花神に愛され、それゆえ罪を犯したのちも裏緋寒として至高神に目をつけられ、番人に定められた逆さ斎からも強く求められた、秘するちからを蕾のように膨らませている少女。その封印が、あと二日で解ける。莫大な加護のちからを持つ少女を、自分のモノにしようと神と人間と幽鬼が競い合っているなかで、朱華は、よりによって自分に記憶を戻すよう懇願してきた。

 それはつまり、竜頭にその気がないということ。

 あのとき彼は朱華を自分のモノだと言っていたが、それが本気だったかは夜澄にはわからない。もし、竜頭が朱華を花嫁に迎えるつもりがあるのなら、自分で朱華にかけられた術を解くはずだ。だというのに彼は夜澄に邪魔されたからというだけでその役割を放棄した。
 そして、朱華を放っておけない夜澄に押し付けようとしている。
 渋い顔で黙り込んでしまった夜澄に、朱華が慌てて言葉を紡ぐ。
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