蛇と桜と朱華色の恋
「竜頭」
夜澄が名を呼ぶと、竜神は意識を失ったまま漂っている朱華を彼の方へ飛ばし、ふんと鼻息で返事する。ゆっくりと落下していく朱華の身体を抱きかかえ、夜澄はホッと安堵の息をつく。
そして竜神は変化する。世にも美しい黒檀色の長い髪に涼やかな一重の榛色の瞳を持つ青年へ。竜糸の『雨』の民の祖であるとされる色彩を纏った神は、煩わしそうに周囲を一瞥し、未晩へ向けて言葉を発する。
「月の影のなりそこないがついに幽鬼に堕ちたのか」
「堕ちるも何も。オレはこの身体を飼いならしていただけだ。あのときの復讐をするために」
「それでわざわざ眠っていた我を起こしたのか。酔狂な奴め」
ふん、とつまらなそうに息をつくと、竜頭はぼそりと呟く。
「颯月。おぬし何をやっておるのだ?」
すると湖の上空にぽっかりと穴があき、さきほどまで至高神と対峙していた颯月が氷辻とともに落ちてくる。水面へ激突する寸前に氷辻が浮遊の詠唱をしたためふたりは何事もなかったかのように竜頭のもとへやってきた。
「自分でも理解できません」
何がどうしてこんなことになったのかわからないまま、今度は竜頭に召喚されてしまった。瞳の色は元に戻っているが、至高神が施した祝福がいつまた発動するかはわからない。しかもその効用が何かもきく間もなく、至高神は姿を消してしまった。
だが、目の前の状況を見ればそう文句も言っていられない。竜頭が目覚め、幽鬼に堕ちた未晩が破壊のために狂気をむきだしにしている。すでに氷辻は理解したのか、里桜の隣に立って結界強化の詠唱をはじめている。
「まあよい。母神の気まぐれはいつものこと。おぬしは里桜と竜糸を守護るために、いつものように動けば問題ない。その辺の瘴気を一掃しておけ」
竜頭はそれだけ言って、颯月を放り出す。颯月は真っ先に里桜の元へ飛び込み、結界を破ろうとする瘴気の塊を風で削りはじめる。
颯月と氷辻が戦力に加わったことで落ち着いたのか、竜頭は朱華が心配で動けなくなっている夜澄の前で雷を落とす。
「――……とっとと朱華の呪いを解け! 神のくせに逆さ斎の幻術などに惑わされる奴があるか」
本性の名を呼ばれた夜澄はギョっとして竜頭を見上げる。自分の方が神としては兄であるはずの夜澄だが、本性を顕現したいまの竜頭のほうが、人間の身体のなかにいる自分よりさまざまなモノや術の気配に敏い。
「……あれは、幻術なのか?」
「それはどうかな。彼女の心のなかにはオレがいる。いくらお前らが心のなかに入り込もうが彼女がそれを認めない限り、彼女はオレのものに変わりない」
「莫迦!」
雨鷺と星河とともに結界を張っていた里桜がきょとんとした夜澄を罵る。だが、遅かった。
「たしかに朱華はいただいた」