冷たい海
 その静寂を遮ったのは、彼女のすすり泣く声だった。彼女は両手で顔を押さえ、その静かな声を響かせたのだ。
 それは、僕が初めて目にする彼女の姿だった。僕の知っていた彼女は、いつでも無邪気で元気で輝いていた。それなのに……。
 残酷な運命に怯えすすり泣く彼女を前に、僕はその時存在していた世界は現ではないような……まるで夢でも見ているかのような浮ついた感覚に陥った。
 何も答えることのできない僕の前で、そのすすり泣きは徐々に大きくなっていって。それは、病室全体に響く嗚咽に変わった。

 それでも……それなのに、僕は静寂を保つことしかできなかった。だから、その罪を少しでも紛らわすように……軽く思えるように。僕はベッドから壁にもたれている彼女の体をこの腕で強く抱きしめた。彼女の涙は僕の胸をただひたすらに熱く濡らして、奥の奥まで染みていった。
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