冷たい海
 そして、何より母親の目。医者の話を聞いた後の真っ赤な目を見れば、余程の悲しい現実に涙を禁じ得なかったことは明白であった。
「う……嘘じゃないわよ。美夏ちゃんはすぐに退院できるわ。でも……」
 そこまで話した母親の瞳には涙が湧き出した。続けようとするも言葉が詰まって……話すことができない様子だった。そんな母親の代わりに、父親が続きの言葉を放った。
「美夏は二度と歩けない」
「えっ?」
 僕の全身は、まるで凍り付いたかのように硬直した。
「冗談……だよね?」
 父親の言葉を冗談だと思いたくて……その現実を冗談にすり替えたくて。僕の口からは真っ先にその言葉が出た。
「本当よ。美夏ちゃんはね……そういう病気になってしまったのよ」
 母親はそう言って、嗚咽を漏らし泣き崩れた。美夏の呼称には必ず「ちゃん」をつけ一定の距離を保っていたかのように見える母親も、彼女を実の娘のように愛し、その残酷な運命に深く傷つき悲しんでいたのだ。そのことを知った僕は堪らない気持ちになった。
 『歩けなくなる』美夏の病気が『自己免疫疾患』だと知ったのは……そしてそれは実は『歩けなくなるだけ』ではないかも知れないと両親から聞かされたのは、それから程なく後のことだった。
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